「律法=戒め」という部分に注目していきたいと前回書きましたが、通常戒めには罰が伴います。交通法規しかり、刑法しかりです。戒めを犯しても何の罰則もないとすると、誰もそれに重きを置かなくなります。
アメリカには州法というものがあって、州ごとに変わった法律があります。それらは、作られた当時は大真面目に考えられた法律だったのですが、今となれば笑っちゃうくらいナンセンスものが少なくありません。ちょっと紹介してみましょう。
フロリダ州では、木曜日18時以降は、公共のスペースでオナラをすると捕まる。
ケンタッキー州では、アイスクリームをポケットに入れると違法。
ワシントン州では、裕福な両親を持っているふりをすることが禁じられている。
アラバマ州では、教会で笑いを取るためのつけひげは禁止。
アラバマ州では、消火栓にワニをつなぐことを禁止。
アーカンソー州では、街中でいちゃつくと最大30日の拘留。
カリフォルニア州では、市内で核爆弾を爆発させたら、500ドルの罰金。
カリフォルニア州では、プールの中で自転車をこぐことを禁止(浴槽においてはその限りではない)。
コロラド州では、ビル内に馬を連れて入ってはいけない。
コネチカット州では、日没後に後ろ向き歩きを禁止。
(アメリカにある・あった「変わった法律」のまとめより引用)
これらは昔作られた法律で、現在でもそのまま残っているらしいのですが空文化しており、それを破ったからといって実際に罰が与えられることはありません(消火栓にワニをつなぐのだけは今でも罰せられるかもしれませんが)。
しかし、聖書の神様の戒め(律法)には厳格とした罰がありました。それは非常に厳しいものでした。民数記の中にこのような記録があります。
「イスラエル人が荒野にいたとき、安息日に、たきぎを集めている男を見つけた。たきぎを集めているのを見つけた者たちは、その者をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。しかし彼をどうすべきか、はっきりと示されていなかったので、その者を監禁しておいた。すると、主はモーセに言われた。『この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。』そこで、主がモーセに命じられたように、全会衆はその者を宿営の外に連れ出し、彼を石で打ち殺した」(民数記15:32~36)
「安息日」というのは今の土曜日にあたり、その日はどんな労働もしてはならないと命じられていました。ところがその安息日にたきぎを集めてしまった男がいたというのです。そしてそれは労働行為にあたるため、その男はなんと実際に石打ちの刑に処せられてしまいました。
非常に恐ろしい罰則ではありませんか。ただ、たきぎを集めていただけなのに、なぜそれほど厳しい罰則が課せられたのでしょうか。
「神は愛なり」などと言われているけど、これはひどいなと思われる方もいると思います。僕も子どもの頃この箇所を読んだときに、神様怖いなと思ったものです。これは現代に至るまで、「福音」をしっかりと理解していない人たちが潜在的に抱き得る神に対するイメージです。ある人たちは、正しい神に罰されないかと「恐れ」ながら神に仕えているのです。もしも、皆様の中にも神に対する「恐れ」がある方がいたら、本連載を通してそれが解消されることを願います。
ガラテヤ6:7にあるように、「神は侮(あなど)られるような方」ではありませんので、神に対しては畏(おそ)れる心を持つべきであり、大いなる存在に対して「畏怖の念に打たれる」ような心情になるのは自然なことですが、神を恐れたり恐怖を抱いたりというのは違うのです。
では、このたきぎを集めた男に対する厳しい裁きをどのように理解したらよいのでしょうか。それは今後少しずつ説明していきたいと思います。ここでは、律法とは戒めであり、戒めを破る者には厳しい罰則が与えられるものだということを押さえておいてください。
【まとめ】
- 「戒め」を破る者には厳しい「罰」が伴う。
- 「罰」のない戒めは、空文化する。
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