運命は変えられるか
フロイトは、「心の現象は、すべて無意識の心的な法則にしたがっている。外傷体験によりその人の性格や人生がすべて決まってしまう」という心的決定論を展開しました。科学的な根拠が乏しいままに、このような概念は広く世界に広まっていきました。しかしこのような考え方には大きな問題があります。人の将来のすべてが、わずかな幼少時の経験で決定づけられると言われると、何を努力しても無駄だとあきらめて、虚無感と悲観の色に人の未来を染めてしまうことになるのです。
現在の人々もこのような運命論を知らぬ間に身につけてしまっています。人間の性格や考え方は、その人の遺伝子、生い立ち、しつけなどの生まれ育った環境に支配されていて、自分は変われないのだと信じ込んでいる人が少なくありません。すなわち、神から与えられた人間の自由意志と、困難にあっても未来を切り開いていく潜在的な能力を過小評価してしまうのです。
例えば、幼い時につらい外傷体験を受けても、すべての人が心に問題が起きてくるわけではなく、つらい経験を乗り越え、たくましく生きている人も少なくありません。
また、人の遺伝子が解明されていますが、どんな人でも病気の悪い遺伝子を持っていることが分かってきました。しかし、すべての人が遺伝子通りに必ず発病するわけではありません。エピジェネティックという遺伝子のスイッチをオン・オフにする仕組みがあって、たとえ高血圧になる遺伝子を持っていても生活習慣が良ければ病気にならずにすむわけです。すなわち、遺伝とはコントロールできない運命的な部分もありますが、その人の生きる態度によって制御可能な要素もたくさん含まれているということです。
聖書も語ります。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント5:17)
さらにフロイトは、宗教とは、人間が自然と文化のもたらす苦しみから自らを防衛するために採用した「仕掛け」であるといいます。そして理性に照らし合わせると、宗教は証明できないことが多く、宗教の教えとは「寄る辺なさ」からくる幼児の不安が生み出した「幻想」にすぎないと断言します。
これに対して、彼は科学を礼讃します。「われわれの科学は幻想などではない。それよりも、科学がもたらしてくれないものが与えてくれると考えることこそが、幻想というものだろう」(『幻想の未来』、1927年)。フロイトの時代から約100年を経て、未だに科学万能主義を信じ切っている人がどれほどいるでしょうか。本屋に行けば軽薄な自己啓発本や、スピリチュアルと呼ばれる新宗教のような本があふれており、フロイトが驚くことでしょう。
「宗教はつねに人間を〈罪〉と呼ばれるこの罪悪感から解放することを唱えて登場する」(『文化への不満』、1930年)。宗教を否定したフロイトは、今度は精神分析によって、人々を罪悪感から解放しようとしました。
「分析結果からは意外なことに、どの神経症にもある程度の無意識的な罪悪感が含まれていること、これがみずからを処罰するために使われることで、ふたたび症状として固定されていることが明らかになったのである」。罪悪感を消せれば病気の治療にもつながるということであり、人々を宗教の幻想からも解放できると考えたのでしょう。そこで彼は罪悪感とは超自我(両親の懲罰が内在化して、自分に様々な規範や禁止命令をだす心の仕組みのこと)の産物にすぎない、実体のない思い過ごしだと説いたのです。
確かにフロイトの目論見通りに、宗教と罪意識の否定には成功したかもしれません。しかし、人はフロイトの考えていた以上に自由になったのです。人間はより動物に近づき、欲望のままに生き、そしてより不幸になったように見えます。人を倫理的に縛るものが消え失せて自由になった時、その結果は、経済至上主義、貧富の差の拡大、物質主義、性の商品化、愛の希薄化など様々な弊害があふれました。
ここに聖書と大きな違いがあります。イエス・キリストも罪の解放を行いましたが、それは単に心理的に罪意識から自由にするだけでなく、罪の力そのものからの解放です。それは愛によるものであり、恐れを乗り越えさせる本当の自由を得させるものでした。
一方でフロイトはユダヤ人としてのアイデンティティには強い関心を示し、晩年に書いた『モーセと一神教』という遺作の中で、モーセはエジプト人であり、エジプトの一宗教からユダヤ教を作り上げたとする独自の説を展開しています。彼は無意識を通して、性欲という当時はタブーであった欲動を研究対象にしたように、聖書のユダヤ人の起源というタブーにも強い関心も持っていました。
彼は「モーセはユダヤ人達に殺された、ユダヤ人達はその罪意識を代々背負うことになった」と書いています。さすがにここまで来ると当時の人々からの批判も多く、受け入れられませんでしたが、彼はキリスト教を否定するという態度を最後まで捨てませんでした。
そのような人生の態度で生きたフロイトが74歳の時に出版した『文化の不満』において次のように述べています。
「われわれに負わされている人生はわれわれにとってあまりに辛く、あまりに多くの苦しみと、失望、解きがたい課題をもたらす。そのような人生に耐えるためには、鎮痛剤なしですますことはできない」。フロイトは、その鎮痛剤として、強力な気晴らし、代償的満足、そして麻薬をあげています。さらに人間の苦悩が発生する3つの源泉があり、① 自然の圧倒的な威力、② 人間の身体のもろさ、③ 家族、国家、社会における他者との関係を規制するさまざまな制度の不十分さを列記しています。この他者との関係から生まれる苦難は、他の2つによってもたらされる苦難よりも辛いものである、といいます。この他人との関係のために生まれる苦痛から身を守るもっとも簡略な方法は、「みずから望んで孤独を守って、他人から遠ざかることである。この方法で実現できる幸福が、平安であるのは明らかである」。
神を否定し、依存を認めなかったフロイトは、時代の変革者としてもてはやされましたが、代償に虚無感と孤独を味わったに違いありません。晩年に患った上顎がんの痛みや苦しみの中にあっても、麻薬などの痛み止めを使わず、自我の力で耐え続けました。彼は道徳的にも真面目で立派な人物で、性の本能的な力にも惑わされず結婚以外の女性関係も無かったといわれます。
1939年、亡命先のロンドンでがんのため亡くなっています。さすがに最後は力尽き、主治医に大量の麻薬注射を依頼し、この世を去りました。
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浜原昭仁(はまはら・しょうに)
金沢こころクリニック院長。金沢こころチャペル副牧師。1982年、金沢大学医学部卒。1986年、金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士修得。1987年、精神保健指定医修得。1986年、石川県立高松病院勤務。1999年、石川県立高松病院診療部長。2005年、石川県立高松病院副院長。2006年10月、金沢こころクリニック開設。著書に『こころの手帳―すこやかに、やすらかにー』(イーグレープ)。