今回は人の心にある「命と死」の2つの本能についてお話をさせていただきます。
「すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。『わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください。』しかし、もうひとりの女は、『それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください』と言った」(Ⅰ列王記3:26)
ソロモン王の神の知恵を表す大変有名なお話です。2人の遊女が同じ家に住んでおり、2人は同じような時期に赤ちゃんを産みました。一人の母は不注意から赤ちゃんを死なせてしまいました。そして、隣の女の横に寝ていた生きている赤ちゃんとすり替えるというずる賢い行動に出ます。もう一人の母は突然死んでいる子どもを見つけびっくりしますが、よく見ると自分の子どもではないことに気付きます。これはすり替えられたと気付いたので、相手の女に子どもを返せと訴えるのですが、拒絶されてしまいました。今と違いDNA鑑定もできませんから、どちらの女性がうそをついているか分かりません。そこで、ソロモン王の裁きを仰ぐことになったのです。
事の次第を聞いたソロモン王はとんでもないことを命じました。「そして、王は、『剣をここに持って来なさい』と命じた。剣が王の前に持って来られると、王は言った。『生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい』」(Ⅰ列王記3:24、25)
これは普通の人間の発想ではありません。もともとソロモン王には子どもを殺す意図がなく、女の真意を試すための方法であったにしても、死と生のぎりぎりの残酷な言葉です。このような内容は人間の暗闇の部分を知った人でないと言えない言葉です。この鋭い剣のような言葉によって、2人の女性の心の奥底にあった異なる欲動が明らかにされます。
一人は「その子を相手の女性にあげてもよいから殺さないでくれ」と言います。しかし、もう一人は「剣で断ち切ってもよいから誰のものにもしないでくれ」と言います。この箇所は、母親が持っている2種類の愛のことを考えると理解しやすいでしょう。それは「所有(自分のものとして持つこと)の愛」と「存在そのものを喜ぶ愛」です。
普通はこの2種類の愛はバランスがとれています。しかし例えば、子どもが自立して母から離れていく時には、子どもが自分の所有物ではなくなるように感じる母がいます。そういう母には、子の自立を妨げ、その存在そのものを滅ぼそうとする破壊欲望が湧き起こることがあります。弱い子どもはそれに圧倒され、母の支配下から出ることを諦めてしまいます。
ソロモン王に、「剣で断ち切ってもよいから誰のものにもしないでくれ」と答えた母には、この破壊衝動がはっきりと見られます。何と残酷な女性だろうと感じる人がいるかもしれませんが、ほとんどの人間はこのような破壊衝動(死の欲動)を多少とも持っているものです。これは原罪によって生じた人格の歪みの一面でしょう。
フロイトは、これをタナトス(死の欲動)と呼び、エロス(生の欲動)と並んで人間を動かす心の根本エネルギーと考えました。例えば、うつ病は生きるエネルギーが減少する病気だと説明されます。多くのうつ病の人は、「死にたい思い」に苦しめられるのですが、実際に自殺するとなると多大なエネルギーが必要です。この死を後押しする力こそ破壊衝動(死の欲動)といわれるものであり、自殺する傾向のあるうつ病の人は、病気でない時にはむしろ活動的です。うつ病の人は必ずしもエネルギーが減少しているのではなく、マイナスのエネルギーが強い人で、その方向性をコントロールできない人ということになります。
死の欲動が強い人は、不機嫌、冷淡、孤独、退屈、笑わないなどの性格を持ち、フロムによると、次のような特徴が挙げられます。これらは悪魔に親和性があります。
① 生きているものより、死んだものや機械を愛する。
② 命より、律法や秩序を愛する。
③ 病気や死のことをよく考えたり語ったりする。暗闇と夜が好きである。
④ 未来より過去に住んでいる。
⑤ 経験よりは記憶を、存在よりは所有を重要視する。
「剣で断ち切ってもよいから誰のものにもしないでくれ」と答えた母は、死の衝動に支配された人と見ることができますが、ソロモン王の「生きている子どもを2つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい」という恐ろしい発想もまた「死の欲動」の性質をよく表しています。生を愛する人は、子どもを物のように2つに断ち切るなど思いもよらないからです。ですから、ソロモン王には強い「死の欲動」が潜在していたことが分かります。そしてこのような欲動が後の王宮のハーレム状態や偶像礼拝につながっていったと推測できるのです。
では、ソロモン王の「死の欲動」はどこから来ているのでしょうか。人間の罪がその根源ですが、具体的には不義の関係と殺人という罪と血にまみれた父ダビデ王の罪や罪責感が、息子にもマイナスの力として影響していたことでしょう。さらに母バテ・シェバの葛藤が幼いソロモン王の心に死と破壊の影を落とし、兄アブシャロムやアドニヤの反乱が権力欲と破滅の恐れを育てていったに違いありません。ソロモン王は幼い頃から暗闇の力にさらされていたのです。このような暗い生い立ちがあると、「死の欲動」を強くしてしまいます。
現代においても母の養育態度が子どもの「死の欲動」に影響します。過干渉で、神経質で、几帳面で、悲観的で、病気のことを過剰に心配するような母に育てられると、「死の欲動」が強い人間になってしまいます。もし、自分に「死の欲動」の性質を見いだしたなら、この欲動に圧倒されないように、従わないように注意して、祈り、賛美して、次に示す「生の欲動」が強くなるように意識しなければいけません。
しかし、イエス・キリストを信じる者は幸いです。古い肉なる自分は、キリストの十字架と共に既に死んでいるからです。「死の欲動」と呼ばれている破壊衝動は、罪人から生まれてくる闇の性質ですが、罪人は既に死んでいるからです。ただ罪人は死んだのですが、罪の習性は残っていることが多いものです。
「生の欲動」とは、命を愛することであり、よく笑い、自由で、喜びにあふれています。ガラテヤ人への手紙に書かれている9つの御霊の実が、その特徴を最もよく表しているでしょう。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラテヤ人への手紙5:22、23)
ソロモン王の話に戻りますと、「その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください」と返答した女性こそ、命の人、御霊の人であり、「生の欲動」にあふれた人です。彼女は人間にとって一番大切な命の価値をよく理解していたのです。愛する子どもの命が豊かに育てば、自分のもとから離れ、自由に羽ばたいていくのが自然です。子どもを自らの所有や決め事で縛ってはいけないのです。
命に満たされた女性の言葉をもう一度見ますと、「すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。『わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください』」と返答しています。
ここには神の愛の一端がほとばしり出ています。父なる神様は私たちが滅んでいくことが耐えられなかったのです。私たちが滅びないように大変心を痛め、苦心されました。イエス様も罪人の私が滅んでいくのを知り、「哀れに思い胸が熱くなった」に違いありません。神の正義よりも愛によって行動してくださったのです。この愛を知ったことで、私は40年前に救われました。そして、この神様の深いご愛を一人でも多くの人に知らせたいと願っています。
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浜原昭仁(はまはら・しょうに)
金沢こころクリニック院長。金沢こころチャペル副牧師。1982年、金沢大学医学部卒。1986年、金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士修得。1987年、精神保健指定医修得。1986年、石川県立高松病院勤務。1999年、石川県立高松病院診療部長。2005年、石川県立高松病院副院長。2006年10月、金沢こころクリニック開設。著書に『こころの手帳―すこやかに、やすらかにー』(イーグレープ)。
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