教会開拓による大きな変化を経験する
召しの変化:職業への召しから証しと宣教への召しに
ビジネスマンの場合には、職業への召しが生活の中心であり、証しと宣教への召しは副次的であった、すなわちビジネスを通して神と人に仕えることが求められた。しかし牧師の場合には、証しと宣教への召しが生活の中心であり、神に仕えることを通して、祈りと御言葉をもって信徒の方々に直接的に仕え、彼らと共に教会というキリストの御身体なる信仰共同体を形成し、人々に福音を宣べ伝えることが求められた。その際、いつも神の御心を求め、神に委ねつつ行うことが必要とされた。
対象の変化:対象が目に見える物の世界から神および人の心という目に見えない霊の世界に
ビジネスマンの時に取り扱う対象は、主として機械という命のない目に見える物であり、また知識や経験の量は多ければ多いほど良かった。しかし、牧師の場合に取り扱う対象は、意思や感情や知性を有する複雑な存在である人間の、しかも目に見えない心のあり方や霊的な状態であり、彼らを神やキリストという目に見えないお方に導くことが求められた。この場合、知識や経験の量は必ずしも多ければ多いほど良いということではなく、むしろ、日々の神との霊的関係がどのようであるかがより大切であった。
立場の変化:信徒の立場から牧師の立場に
ビジネスマンの時には、教会生活を通して牧師を見ていた。しかし今度は、自分が信徒の方々から見られるようになった。いわば見る立場から、見られる立場となった訳である。またビジネスマンの時には、周囲の者はほとんどが未信者で、自分が良きキリスト者であるかどうかは、周囲の者にとってそれほど大きな問題ではなかった。しかし今度は、周囲の者はほとんどがキリスト者であり、自分が信頼に足る良きキリスト者であるかどうかは大きな問題であった。それ故、より神の教えに沿った歩みをすることが求められた。
働き方の変化:何かを行うこと《doing》から共にあること《being》 に
ビジネスマンの時には、研究開発を行い、それによって何か新しいものを生み出すということが常に働きの中心であった。しかし牧師の場合には、何かを行うということよりも、キリストを仰ぎつつ信徒の方々と共に歩み、信仰と主の愛の内にあって、信徒の方々と共に成長することが最も大切な働きであった。また、牧師とは羊飼いのように羊を牧する者であり、それ故に、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く者であることが求められた。
組織と仕え方の変化:より仕えるリーダーシップが求められるように
ビジネスマンは職場という上下関係のある組織で働く者であり、仕えるリーダーシップを発揮することは大切なことではあるが、それは副次的なものであった。しかし、牧師は教会という上下関係のない共同体に仕える者であり、仕えるリーダーシップを発揮することは一次的なものであり、極めて大切な牧会的要素であった。それ故、より一層の仕えるリーダーシップが求められた。
関わる範囲と制約の変化:時間の制約や関わる制約がない働きに
ビジネスマンの場合には、多少例外はあるもののほとんどの場合、会社に勤めている間だけ同労者と付き合えばよかった。また主として仕事に関することにのみ関わっていればよかった。また、仕事には納期という時間の制約もあった。従って、時間や関わることに制約のある生活であった。しかし牧師の場合には、可能な限りいつでも信徒と付き合う必要があり、時間的制約は厳密ではなく、また、何時までに完成させなければならないという制約もさほど厳密ではなかった。また関わる範囲にも制約はなく、求められれば生死を含む信徒の全人生および全人格に関わることが必要であった。すなわち、時間や関わることに制約のない生活となった。
同労者の変化:同労者が上司、同僚、部下などから妻に
ビジネスマンの時は、私の同労者は会社の上司や同僚や部下であった。妻はその時、専業主婦であったので、私と妻とはそれぞれ別々のことを行っていた。しかし、妻と一緒に教会を開拓するようになって、妻が私の同労者となった。
以上のような大きな変化の故に、私はさまざまな葛藤を覚えることとなった。しかし、そのような葛藤を通らされながらも、多くの助けをいただくことによって、教会の設立から6年目を迎えるところまで歩んでくることができた。これは、私だけでは到底負いきれない重荷を、キリストが共に負ってくださったが故に、続けられたことであった。また、お祈りやご奉仕やささげものなど、さまざまな形で支えサポートしてくださった、敬愛するアガペーコミュニティチャーチの兄弟姉妹の方々のご協力がなければ、決してできないことでもあった。さらに北浜インターナショナルバイブルチャーチの黒田禎一郎先生ご夫妻をはじめ、兄弟姉妹の方々や、東京めぐみ教会の安海靖郎・安海和宣先生ご夫妻をはじめとする教会員の方々の、背後のお祈りが無ければ、到達し得ないことでもあった。最後に、妻である邦子牧師の支えがどんなに大きかったかと思う。邦子牧師がいなければ、私はとてもここまで来ることができなかったと思う。弱い私を助け、励まし、導いてくださった主に、また関わってくださった全ての方々に、今感謝の思いで一杯である。献身する時に主からいただいた、マタイ9:37~38の御言葉「そのとき、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい』」が、いつも私の心の底に横たわっていたことも大きかった。滅び行く魂をそのままにしておくわけにはいかないとの思いは、葛藤の中にあっても、決して消えることはなかった。
今振り返ってみて、さまざまな葛藤は、私にとって必要なプロセスであったとつくづく思う。そのような中を通らされることによって、私は少しずつではあるが、牧師として余分なものが削ぎ落とされ、必要なものが主にあって備えられてきたように思う。
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(参考並びに引用資料)
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・生松敬三(1990年)『世界の古典名著・総解説』自由国民社
・バンソンギ「キリスト教世界観」石塚雅彦訳、CBMC講演会資料(2005年)
・William Nix, 『Transforming Your Workplace For Christ』, Broadman & Holman Publishers, 1997
・ミラード・J・エリクソン(2005年)『キリスト教神学』第三巻、伊藤淑美訳
・ヘンリー・シーセン(1961年)『組織神学』島田福安訳、聖書図書刊行会
・ジョージ・S・ヘンドリー(1996年)『聖霊論』一麦出版社
・ウィリアム・ポラード(2003年)『企業の全ては人に始まる』大西央士訳、ダイヤモンド社
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。