教訓二
人生は、全く突然に終わることがあり得るということを覚え、死への備えをしておくことが大切である。
私たちはこの震災を通して、人生の終わりが全く突然に来ることがあるということを、改めて認識させられたのではないかと思う。この大地震によって、約1万9000人もの方々が突然、しかもほぼ同時に、その人生を終えることを余儀なくさせられた。誰も地震や津波がその時来るとは、思ってはいなかったと思う。本当にそれは全く突然にやって来た。それ故私たちは、老若男女を問わず、突然自分の人生が終わることがあり得るということをいつも覚え、死への備えをしておくことが必要である。ただ、ここでいう死への備えとは、財産の整理や相続のこと、また残された家族たちの生活のこと、あるいは介護や病院や葬儀のこと等の、目に見えることを指すのではない。勿論、それらも必要なことではある。しかし私たちにとって、むしろ、自分自身の死後の命に関する備えをすることの方が余程大切なのである。
この津波で亡くなられた方々の中で、そのような意味での死への備えをしておられた方は、どの程度おられたであろうか。私は、恐らく大変少なかったのではないかと思う。何故なら日本の多くの方々は、死後の命があるなどとは、本気で考えていないように思うし、ただ何となく死後の世界があるのではないかと、漠然と思っているに過ぎないと思うからである。そしてそのことが、死後の命への備えをなおざりにさせ、また愛する者を失った人々の悲しみを、一層大きくさせている理由でもあるように思われる。愛する者は何も言い残すことなく、突然この世から消えてしまった。一体彼らはどこに行ってしまったのか。どうなってしまったのか。残された者は、このような思いを抱きながらも、どうすることもできないやりきれなさに耐えていかなければならない。そのような思いは、死後の命がどうなるのかについての、明確な認識を持っていないことから起きることが多いように思われる。
私自身も、障害を持った6歳の長女を、事故で突然に失うという経験をした。それ故、突然の別離が、残された者にどのような悲しみをもたらすものであるかがよく分かる。しかし私の場合、この長女が亡くなるかなり以前に、彼女が脳障害に遭うという医療事故を通してキリスト教の神と出会い、神を信じて救いの中に入れられていた。またこの長女も、教会における献児式によって救いの中に入れられていた。聖書には、死後の世界が明確に存在すること、また神を信じて救いの中に入れられている者には、死後にその世界、即ち天の御国で永遠の命を持つことが約束されている。従って、長女が不慮の事故で亡くなった時には、私にも、またこの長女にも、死後の命への備えはできていた。そして死後に天の御国に入り、そこで永遠に生きるという明確な約束も与えられていた。それ故、長女の死は悲しいことではあったが、そのような中にあっても、死後における永遠の命への明確な希望を持つことができ、私も妻も悲しみから早く立ち直ることができた。そのような経験をしたので、私は一人でも多くの方が、神を信じることによって救われ、死後の命に関する備えを早急にされることを心から願う者である。
死後の命に関する備えをすることは、死への恐怖を軽減することにおいても極めて有効と思われる。死への恐怖は主に、(一)この世と切り離されること、(二)死後どうなるか分からないという漠然とした不安、(三)肉体的な苦しみ、等から来るものと考えられる。(一)のこの世と切り離されることによる恐怖は、この世や物質的なもの等の、目に見えるものへの強い未練がある場合に大きくなると思われる。教訓の一で述べたように、目に見えないものに目を留め、いつもそこに人生の基盤を置くことができていれば、また人ではなく神に基盤を置き、このお方に目を留め、このお方に信頼していくことができていれば、この恐怖はなくなるものと思われる。また(二)の死後どうなるか分からないという漠然とした不安による恐怖は、死後永遠の滅びに至るということを、人間が潜在的に感じ取っているところから来るもののように思われる。聖書には、人間は一度死ぬこと、また死後に神による裁きを受けること(ヘブル9:27)、更に神を信じない者は死後に永遠の滅びに向かうこと(Ⅱテサロニケ1:9)、等が定まっていると記されている。このことからも、死後に永遠の滅びに至るという思いを人間が持つことは、むしろ当然であると言えよう。しかしこの恐怖は、死後の命に関する備えがきちんとできていれば、無くなるものと思われる。この点からも、神を信じて救いの中に入れられる人が多く起こされることを、私は心から願っている。
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(参考並びに引用資料)
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。