「神(GOD)の存在証明」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
多くの日本の方には馴染みのない言葉かもしれません。しかしこの「神の存在」というのは、人類誕生以来、世界中の非常に多くの人々の一大関心事であり続けています。
英語版においては、「神の存在証明」に関する本は少なからずあるのですが、日本においては残念ながら皆無です。逆に何故か、「神の非存在証明」に関する本を見かけはしますが。
そこで、本格的な「神の存在証明」の本を書きたいと数年前から構想を練っているのですが、いつ完成するかわからないという著者の事情と、分厚い本を書いても読まれる読者も少なかろうということで、今回はそのエキスの部分をエッセイ風に徒然に書かせていただきます。
早速本題に入りますが、何故神について理解することがそれほど重要なのでしょうか?
現代の日本はあらゆる分野で先進国と言えるし、世界をリードしています。一部競争分野においては、他の国の追随をゆるしてはいるようですが、それでも円熟した先進国としての懐の深さは、今後も様々な分野で世界と対等以上に渡り合うのに充分なものを備えています。このことはお世辞でも何でもなく、一足世界に足を運べばすぐに分かる事実です。
しかし、仮にこれまで以上に日本の経済が発展し、文明が豊かになったとしても、日本人が世界の様々な人々の心を真に理解し、リードするということは難しいと思います。
それは、日本が島国であるという地理的なこともあるかも知れませんが、もう1つ理由をあげるとすれば、私たちの多くが、彼らの多くが一番大切にしていることに無知であり、無関心であるからです。
それこそが、神に対する信仰であり、宗教と一般に呼ばれるものです。
現在世界人口は70億と言われていますが、そのうち神を信じている人の総数はどれくらいでしょうか。ざっくりと言えば、キリスト教20億、イスラム教10億以上でしょう。その他、数は少ないけれども優秀な人材を輩出し続けて世界に少なからぬ影響力を持っているユダヤ人の方々や、キリスト教から派生した新興宗教なども、教義の違いこそあれ「神の存在」を信じています。つまり世界人口の半数近くが神の存在を受け入れているのです。
意外に思われるかも知れませんが、共産党一党支配の下、信教の自由が完全には認められていない中国においてすら、近年では、日本の総人口に相当する一億人以上の人がキリスト教徒として神を信じるようになったと言われています。その大部分の人たちは当局に隠れて信仰を保っているようです。
日本において、神の存在を本気で信じるなどと言うと、馬鹿にされたり、笑い飛ばされたりするかも知れないですが、世界中で非常に多くの人々が、それも無知な人ばかりでなくノーベル賞をとるような人たちや各国の大統領までもが神の存在を当然のこととして受け止めています。この乖離はどこからくるのでしょうか。そして神の存在は多くの日本人が思っているように非科学的で荒唐無稽なことなのでしょうか。また、神の存在の如何は私たち日本人には関わりのないことなのでしょうか。否、そうではないということを、このコラムのシリーズを通して証明してみたいと思います。
もちろん本シリーズを読み終わった後でも、最終的に「いや僕は神を信じないよ」とか「日本人として、日本の宗教や伝統を大切にしたい」ということもあるかと思います。信仰を持つ、持たないは各自の自由なのでそれはかまいませんし、日本の伝統を大切にしたいというのは当然尊重されるべきことです。しかし少なくとも、何故これほど多くの人々が創造主としての神を信じているのか、またそのことを人生の中で一番大切なこととしているのかということだけは分かるはずです。そして相手が一番大切に思っていることを知れば、相互理解の可能性が大きく開くのです。
また既に神の存在を心において既に信じている方々にとっては、理性の領域において整理される良い機会となるかと思います。また自分の周りの方々に何故神を信じているのかと問われた時に答えるのに役立つかもしれません。
「そんな事を言っても、神を信じているという多くの人たちが、争い続けているじゃないか、それなら神なんか信じないほうがましだ」と言われる方もいるかも知れません。ドーキンスという生物学の権威は、911テロなどの事件を機に神の存在を否定すべきとの確信を深めたと語っており、大きな影響を世界に与えています。
また同じ神でも自分は「多神教の神」日本においては「八百万の神々」の方がしっくり来るという方や、神の存在の有無を知ることは絶対に不可能だとする「不可知論者」の立場の方、神ではなく宇宙人が世界を創ったのだという方や、全ては仏様によるという方、そうではなく宇宙は無から偶然に発したのだと科学的な確信を持っている方もいるかもしれません。
これら様々な点にも踏み込んで「神の存在証明」のコラムをシリーズとしてしばらく続けさせていただきたいと思います。
次回は「デカルトによる神の存在証明」というテーマで書かせていただきたいと思いますので、引き続き読んでいただけると幸いです。
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山崎純二(やまざき・じゅんじ)
1978年横浜生まれ。東洋大学経済学部卒業、カナタ韓国語学院中級修了、成均館大学語学堂(ソウル)上級修了、JTJ宣教神学校卒業、ブルーデーター(NY)修了、Nyack collage-ATS M.div(NY)休学中。韓国においては、エッセイコンテスト「ソウルの話」が入選し、イ・ミョンバク元大統領(当時ソウル市長)により表彰される。アメリカでは、クイーンズ栄光教会に伝道師として従事。その他、自身のブログや書籍、各種メディアを通して不動産関連情報、韓国語関連情報、キリスト教関連情報を提供。著作『二十代、派遣社員、マイホーム4件買いました』(パル出版)、『ルツ記 聖書の中のシンデレラストーリー(Kindle版)』(トライリンガル出版)他。本名、山崎順。