ニュートンによる神の存在証明
前回紹介したデカルトによる神(GOD)の存在証明は、代表的な4つの「神の存在証明」のうち、「本体論的証明」と言われているものですが、今回は、もう少し分かりやすい神の存在証明を紹介したいと思います。それはかの有名なアイザック・ニュートンによる逸話として知られているものですが、おおよそこのような内容です。
ある日、ニュートンの友達で無神論者の科学者がニュートンの家に訪ねてきました。そこには、太陽と惑星と地球と月の精巧なモデルがあったそうです。それは月を回すと地球が自転し、さらに太陽の周りを公転するといった精巧なモデルだったようです。
それを見た友人がニュートンに言いました。「おいニュートン、これは立派な宇宙のモデルだな、一体誰がこんなすごいものを作ったのだい?」。ニュートンは言いました。「誰でもないさ」。その友人はむきになって反論しました。「おいおい、誰でもないって冗談はよしてくれ、こんな立派なものが勝手にできたとでもいうのかい? そんなことは有り得ない、誰かが作ったに決まっている」
ニュートンは答えました。「おやおや、おかしなことをいう。君は常日頃から、こんなモデルなど及びもつかないほど精巧で複雑な宇宙が、何人にもよらず偶然の産物によってできたのだと主張しているではないか? それなのに本当の宇宙に比べれば、はるかに単純ではるかに小さなこのモデルが偶然にできることはあり得ないというのかい? この矛盾をどう説明するつもりかね」「・・・」
かくしてニュートンは、無神論者の友人に神の存在を承服させたということです。つまり宇宙のモデルに作り手がいるように、宇宙にも当然それを作った神が存在することを論理的に帰結させたのです。
ある人はこれに関してこう反論します。「いやいや、人が作ったモデルは小さくて見ればすぐに人間の作だとわかるけれど、宇宙はもっと大きなものだから何かが作用して偶然にできたのではないか」
徳川家康の時代に書かれた「妙貞問答」でも同様の疑問を扱っているようです。これは、妙秀という尼とキリシタン幽貞の問答というかたちを取っている小冊子で、1605年に刊行されたものです。一部を分かりやすいように、抜粋・改編して引用してみます。
(幽貞)・・・家に大工がいるように、天地の万物にも同じく創造者たる大工さんによらないでどうしてできましょうか。
(妙秀尼)今、たとえにおっしゃった家などのような物は、寸法のある物は作ったということはなるほどと思いますが、測ることもできない、ふち(境界)もない天地をどうして作られた物といえましょうか。
(幽貞)「見当もつかなく境界もない天地だから、それを作った方がいない」とおっしゃられるのならば、その理由をいって下さい。・・・その理由は、難解なあなたの宗教にもあるはずと思われます。
(妙秀尼)いや理由といっても別に思いつくわけでありませんが、ただこのような広大な天地ですから、作り手がいそうもないというだけです。
(幽貞)理屈はないけれど、ただ作り手はいそうもないなどとは、個人判断のことです。まずよく聞いて下さい。私がいうのは、この天地は広大ですから作り手がいないわけがない、ということです。・・・大きくてむずかしい物よりも小さくて簡単な物は作りやすいでしょう。たとえば・・・行灯(あんどん)は家より簡単にできるにちがいありません。しかし、この簡単な行灯でさえもひとりでにできた物でないならば、どうして家がひとりでにできるでしょうか。・・・(これらに)比べればいうまでもなく・・・(大きくて複雑な)天地がひとりでにできたとはいえないでしょう。
(妙秀尼)・・・
全部は引用できませんので、ここまでにいたします。幽貞は、より大きくて複雑な物ほどより作るのが大変であり、しっかりとした作り手と設計が必要であると主張しているのです。
似たような内容の重複になってしまいましたが、万物を造られた神の存在証明の要になる点なのであえて列挙させていただきました。このような証明方法は4つの代表的な神の存在証明の一角であり、「目的論的証明」と言われるものです。現代のアメリカなどにおいては「インテリジェント・デザイン」という運動が、同様の主張をしているものとして有名です。
個人的にはこの「目的論的証明」と、後に触れる予定の「宇宙論的証明」が十分に創造神の存在を証明していると思います。実際に、この2つの証明に対してはこれといった十分な反駁がなされていません。
それならこう反論する方もいるかもしれません。「じゃあ何者かが世界を作ったと仮定して、それが神であるとなぜ言えるのだ? もしかしたら宇宙人や人格を持たない宇宙のエネルギーがそうさせたかもしれないじゃないか」
なるほど二理も三理もある反論です。実際にこれらを大真面目に信じている人々も多くいらっしゃいます。大物ハリウッドスター、トム・クルーズも宇宙人が存在するとする宗教(サイエントロジー)に入っているくらいですから。それでは宇宙人説と人格を有さない偉大な宇宙のエネルギー説について扱ってみたいと思います。
ただその前に、次回はインマヌエル・カントによる神の存在証明について書かせていただきたいと思います。
※ニュートンの逸話は、実際には他の学者によるものであるという説もありますが、誰が主張したのかが重要なのではなくて、内容にこそ意味があるので、そこには踏み込まないことにします。
※ハビアン著『妙貞問答』(1605年刊行)
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山崎純二(やまざき・じゅんじ)
1978年横浜生まれ。東洋大学経済学部卒業、カナタ韓国語学院中級修了、成均館大学語学堂(ソウル)上級修了、JTJ宣教神学校卒業、ブルーデーター(NY)修了、Nyack collage-ATS M.div(NY)休学中。韓国においては、エッセイコンテスト「ソウルの話」が入選し、イ・ミョンバク元大統領(当時ソウル市長)により表彰される。アメリカでは、クイーンズ栄光教会に伝道師として従事。その他、自身のブログや書籍、各種メディアを通して不動産関連情報、韓国語関連情報、キリスト教関連情報を提供。著作『二十代、派遣社員、マイホーム4件買いました』(パル出版)、『ルツ記 聖書の中のシンデレラストーリー(Kindle版)』(トライリンガル出版)他。本名、山崎順。