ディベート時に起こりやすい錯覚
なぜ神(GOD)の定義をそぎ落としてそぎ落として、「人間以上の存在」のみとした方が、神の存在の有無に関して理解しやすいかと言えば、神を詳細に説明すればするほど、その内の1つでも否定できた気になると、全部を否定できたと勘違いしてしまう人が多いからです。それは、ディベートにおいて相手の論拠の一角を崩したことにより、全面的に勝利したと勘違いする心理に似ています。
相手が自分と違う主張をする場合、相手の論拠の全部、もしくは最低でもその中核をなすものを崩さない限り、相手を完全に論駁したとは言えません。
ある人が「私は朝食を食べないの。なぜなら朝は時間もないし、食べなくてもコンディションも良いから、それにお金の節約にもなるしね」と言ったとします。それに対して、誰かが「朝食なんてそんなにお金はかからないから、食べたほうがいいよ」とだけ強く言ったとしても、「時間がない」と「食べなくてもコンディションが良い」という最初の2つの論点を説得できなければ、相手を戸惑わせるだけでしょう。でもなぜか相手の論点の、しかも付加的に加えた部分をちょっと崩すことによって、自分の主張が相手より勝っていると錯覚することが多いのが人間なのです。
だから、神について詳細に定義すればするほど、より多くの人がそれを論駁した気になれるでしょう。しかし「神とは人間以上の存在」だけにすると、果たしてその存在を100%否定できる人がいるでしょうか?
神の非存在証明
ところが、最近では神の存在証明ではなく、神の非存在証明なるものがまことしやかに主張されています。それは不確定性原理や不完全性定理というものを使うようです。その概要を大まかに理解するために、まずはその不確定性原理と不完全性定理について簡単に押さえてみましょう。
不確定性原理 粒子の運動量と位置を同時に正確には測る(知る)ことができない。
不完全性定理 自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω(オメガ)無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。
(Wikipediaより引用)
難しいことを言われると、なんとなく気圧されてしまいがちですが、簡単に言うと不確定性原理とは、粒子の位置と速度を正確に把握することは神でも不可能なはずだということであり、不完全性定理とは、数学上、絶対に答えを(是とも非とも)断言できない問題があるということです。そしてそのことは、「神は全知である」という命題と矛盾するので、神は存在しないと結論付けているのです。
ちょっと興味深いので、もう少し詳しく不確定性原理について触れておきましょう。不確定性原理とは、粒子の位置と運動量を同時に知ることが不可能であるということですが、そのことは「観察者効果」と言われるものとよく混同されるようです。観察者効果とは、極ミクロの世界においては、観察するという行為自体が対象である粒子の状態に影響を及ぼしてしまうので、正確な数値を知ることは不可能だというものです。カメラのフラッシュをたくと、目をつぶらせてしまってありのままの姿を撮ることができない状況を想像すると分かりやすいでしょう。
しかし不確定性原理とは、観察者効果があるから、粒子の位置と運動量を同時に知ることができないのではなく、もともと粒子の位置と運動量というのは確定していないものなのだという、ちょっと不思議な説です。そしてこのことは、万物の事象が偶発性を内包しているということを意味しており、次の瞬間に何が起こるかは、神様でも分からないはずだというわけです。アインシュタインは、有名な「神はサイコロを振られない」という表現で、この種の不確定性原理を否定しましたが、最先端の量子力学ではこれを支持する学者の方が多いようです。
不完全性定理についても興味のある方は、より詳しく調べてみるとよいでしょうが、これらの「神の非存在証明」なるものを反駁するのには、特に専門的な知識は必要ありません。それでは一緒に検討してみましょう。
2つの「神の非存在証明」のロジックはどちらも、「神の全知性」を崩すことを目的としていると先ほど紹介しました。では、とても簡単で、聞くと「な~んだ」と言われそうですが、神の全知性の看板を下げればよいのです。前回の話と似ています。私個人は、神が全知であると信じていますが、もしよろしければ神の全知性を否定してくださっても結構なわけです。但し、神の存在そのものを、そんな部分否定によって全否定してもらっては困りますよということです。冒頭の「ディベート時に起こりやすい錯覚」の話を思い出してください。
神が善なる方でないとしても、神の存在の有無とは無関係であると前回説明したのと同様に、神の全知性は神の存在の有無とは無関係です。たとえば(あくまでたとえばですが)、実は神は人間や世界を造りはしたが、連立方程式は苦手な方だったとします。では神が連立方程式を解けないとしたら、その方は存在してはいけないのでしょうか? とんでもないですね。連立方程式どころか、小学生が知っているような簡単な四文字熟語に詳しくないとしても、人と世界を造った「人間以上の存在」であれば、神は神なのです。
ところで実は、不完全性定理を利用した神の非存在証明とは、こう言っているようなものです。神はπ(パイ)の値3・14159・・・を全て知っているだろうか? もし知らないのであれば、全知ではないから神は存在しない!! そして知っていると主張するならπは無限大なのだから、そんな神は偽りである!!
こんな幼稚な理屈を鵜呑みにされないようにしてください。そもそも神の全知性とは、上述のような無機質な議論の対象のためではなく、私たちに対する神の深い関心という面で、聖書(詩編139編やマタイ10章ほか)において描かれているものなのです。少しだけ引用しておきます
「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です」(マタイの福音書10:29~31)
ちなみに私はこの聖書箇所をもとに作られた、「スパロウ」という美しい曲が大好きです。この曲は「サウンド・オブ・サイレンス」などで超有名な「サイモン&ガーファンクル」のファーストアルバムに入っています(英語表記:Sparrow - Simon and Garfunkel)。
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山崎純二(やまざき・じゅんじ)
1978年横浜生まれ。東洋大学経済学部卒業、カナタ韓国語学院中級修了、成均館大学語学堂(ソウル)上級修了、JTJ宣教神学校卒業、ブルーデーター(NY)修了、Nyack collage-ATS M.div(NY)休学中。韓国においては、エッセイコンテスト「ソウルの話」が入選し、イ・ミョンバク元大統領(当時ソウル市長)により表彰される。アメリカでは、クイーンズ栄光教会に伝道師として従事。その他、自身のブログや書籍、各種メディアを通して不動産関連情報、韓国語関連情報、キリスト教関連情報を提供。著作『二十代、派遣社員、マイホーム4件買いました』(パル出版)、『ルツ記 聖書の中のシンデレラストーリー(Kindle版)』(トライリンガル出版)他。本名、山崎順。