5月は、本屋ぴりぽはお休みをいただいています。いただいているといっても、誰かに許可を得なければならないわけでもなく、ひとえに主に尋ね、そして「いただいた」結果なのです。本屋ぴりぽも、年始とGWの休日が定着化してきています。1カ月のうちの1週間しかオープンしていない(それも厳密に言うとたった6日です)、月の半分以上はお休みなのに、です。
翌月が休みのときは、少し長期の旅に出かけます。それはオンとオフを感じるために。しかし、奉仕にオンとオフがあるわけがなく、生かされているすべての瞬間がどこにいても奉仕であるはずです。24時間、一年、一生。自分の弱さを考えないで言えば、のことですが・・・。
奉仕という言葉は誤解を招くかもしれません。むしろ、主を喜ぶ者として生きている時と言ったらよいのでしょうか。要は、なぜ生かされているかを知って生きている時間。それをさらに深く確認するための旅。だから形は変わっても、常にオンの中にいるのです。今回も、今シーズン最後の滑りに出かけていました。旅の準備の時に持っていったトラクトが、同じ状態で一緒に帰ってきました・・・。勇気と決断力のなさを物語っています。
ここ数年、以前から思っていた、心ゆくまで滑ってみたいという希望を実践しています。滑りのフォームも変えたい、安全で美しく滑りたいという思いから、スキースクールの熟年コースに入って手ほどきを受けながら、主が創造された白銀の世界にのめり込んでいます。古い型を抜くのは容易ではありません。我流でついてしまった悪いフォームを矯正するのは時間がかかります。まさに、主を知らないで生きてきた古い自分を脱ぎ捨てる作業と同じです。
このスクールでインパクトの強い人々との出会いを用意していただいていました。ここまで出かけなければ、この世界に飛び込んでみなければ出会えなかった人々です。その中のお一人はもう78歳の方。彼女がスキーを始めたのは70歳になった時。家でゴロゴロ(ご本人曰く)しているのを娘さんが気にして、最初に連れて行かれたのは皇居の周りのジョギングコース。「どう、やってみない?」という娘さんの言葉に彼女は興味を示さず、次に連れて行かれたのが、温水プール。彼女曰く「いまさらあのような水着を着て肌を出すのも・・・」と、これもボツ。次に行ったのはなんとスキー学校、それも熟年の。ここで彼女はハマりました。
先生方の指導も素晴らしかったのでしょう。生まれて初めて乗るリフト。一旦止めてもらって静止した状態で乗り、降り場に着くとまたリフトを止めてもらって降りる。そして、後は慣性の法則でインストラクターの後を山の上から緩やかにゆっくり滑り降りてくるだけ・・・。そのような手厚いフォローがあって今の滑りができるようになられたとのこと。彼女はそのスキー場のホテルでワンシーズン滞在するのです。12月から4月。それほどに虜になっています。何がこれほどに彼女を、と思うのですが、このような方は彼女に限らず、ここでは多くの方がそうなのです。
例えば、昨年お会いしたとき79歳、以前はゴルフ三昧だったという方。義理の息子さんに連れられてスキーに来られたのが最初で、もうそれからは、ゴルフの道具も捨ててしまわれたほどのスキー通に。普段はマラソンや筋トレをしてシーズンに備えておられるとのこと。この2月にお会いした時も、雪山登山をしていて雪渓で滑り転げ、木の根元で止まった時におもいきり胸を打ってアバラ骨にヒビが入ったとか。「あっイタタ!」と言いながらも、とても80歳とは思えない豪快なフォームでインストラクターの後を滑っておられました。
極めつけは、同じクラスでご一緒になった83歳の方。単独ではスキーに来られないが、このスクールに入って滑るなら家族の許可が下りるということで参加されている男性。素晴らしい勢いでトレイン(電車のように間を開けずに前の人の後を追いかけるようにして滑る)の先頭を滑っていかれます。このような方々がそこ、ここに。
そしてもう一つ驚かされたのは、ほとんどの方が何らかの体の支障、障害、それも膝や腰に持っておられるということ。筋金入りの方々もいます。膝にボルトが入っており、滑っている間は膝をハードなサポーターで支え、猛スピードでコーチの後を滑って降りる方も。
彼らの熱意はどこから? と思わず思ってしまいます。それらの支障にめげずにチャレンジしておられる姿には本当に励まされ、刺激を受けます。輝いている熟年と言っていいでしょう。確かに彼らの前向きなスポーツに対する姿勢は、私に大きな衝撃を与えました。これほどの思いで私も主に夢中になっているのだろうか。そして私が彼らから感動をもらうように、私も主を愛する者として誰かに感動を感じてもらっているのだろうか。神を知らない彼らの方がよっぽど多くの影響を与えているのではと考えざるを得ません。持参したトラクトに手も付けず持ち帰ってくる私です。私は熱い心で伝道しているのだろうかという後ろめたさが襲ってきます。
スポーツ、健康。これらには、いつかはできなくなるという時が来ます。今後それを彼らはどのように消化していくのだろう。できなくなった時、彼らには何があるのだろう。こんなことを考えながら、リフトに乗っている間はしばらくの休憩。その時に目にする景色は、まさに主の創造をたたえる瞬間。空気中に舞うダイヤモンドダスト、樹氷、雪山、すべて主が創られ、私たちが喜ぶために与えてくださったもの。どれほどこのことを喜び、歓喜するほどに感謝しているのか。こんなにも与えてくださっているのに。偶然にできた産物と思うところには、感動はあっても感謝はない。人々はこれらを見て歓声の声を上げているが、果たしてこれらをデザインした方がいるなんて言ったら、どのような顔をするだろうか。そんなことを思いながら、同じリフトに乗っている人と「ワーすごいね」と声を震わせている。
来シーズンには、聖霊様の助けによって、持参したトラクトや小冊子を持ち帰らないように祈りに祈り、準備して出かけよう。与えられている出会いの中で伝道ターゲットを見逃さないように! そして滑りのミニストリーができることを祈りつつ。
■ 本屋ぴりぽの生い立ち: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
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塚本春美(つかもと・はるみ)
兵庫県生まれ。1984年三重県四日市市で受洗。家族は夫と子ども3人。2006年、夫の転勤先で現在の本屋ぴりぽのビジョンを主からいただき現在に至る。ライフ・ホープ・ネットワークのボランティアカウンセラー。