さあ、オープンというところまで来ましたが、大切な事を記すのを忘れていました。肝心の本は、どこ? それこそ、本がなくて、どうして本屋さんと言えるでしょう。商いに全く知識のない者がどうしたら本を、それもビジネスとして仕入れることができるのでしょう。
最初はわけも分からず、その本屋を知っているというだけの理由で、ある名古屋の販売店の方に相談をしました。しかし、そこからの反応はあまり芳しくないものでした。また、この業界では名の知れた、ある教団の出版部に相談しましたが、そこの偉い方がおっしゃるのには、「現在は出版業界そのものがどんどん廃業に追いやられているから、よく考えるように」「一日に何人のお客様が来るか、それでどれだけの売り上げがあるかをよく考えて」等、現実的な課題を示されてしまいました。
これらの貴重なご意見やアドバイスは大変大切で、必要なことですが、私のような右も左も分からない者にとっては、「無理、無理、やめた方がいいよ」と暗に反対されているように聞こえたのです。「こちらも応援するから頑張って」と、そんな答えを期待していた私は、自分の考えが大変生ぬるく、相談にも乗っていただけないことを知って、大いにがっかりしました。これも、誰の紹介もなしに、ただ、主に示された喜びと、意気込みだけでビジョンを語って質問した私が甘かったのです。
そんな思いの中である日、友人が一人の出版会社を立ち上げた方を紹介してくれました。仕入れルートの道が開かれ、本を搬入する事が出来るようになったのも、この方のお陰です。主が時にかなって私たちを必要な方に出会わせてくださいました。
こうして無事本の入手の道は確保されましたが、私個人が一度に何百、何十万という本を買う財力は全くありませでした。しかし、ここでも主ははっきりと、このプランが主ご自身からのものであることを私に確信させてくださいました。
それは、夫は未信者ですが、その彼が本当に快く、後押しをしてくれたのです。助け人を送ってくださいと祈り続けていた私に、二重の回答を主は与えてくださいました。出資者として、またあらゆることの相談者として、一番身近にいる夫を、です! 私はクリスチャンの誰かが主にあって送られる、出会わせてくださると思い込んでいたので、主人とは思ってもみなかったのです。考えてみると、最初の感動から今までの全てを彼にシェアーしていました。
これでほぼ、開店に備えての準備が整えられました。本を選ぶのも、まずは自分が感動し、多くを学んだものからとなってしまいましたが・・・。他は、色々情報を収集しながら、私と同じ一般の信徒の方々のニーズに合うような選択をしていきました。
2006年5月13日。三重県に初めてのキリスト教書店オープンの日。書店といっても、1カ月に1週間、それも日曜を除いて6日の営業。普通の家、書店らしくない本屋。経験ゼロの普通の主婦、販売員兼お茶出し係り、兼オーナ。どれ一つとっても他から見れば危なっかしい起業です。これを起業と言えるならですが・・・。とにかく始まろうとしていました。
ここで忘れてはならないのは、本屋を始めたら、このサービスだけは必ず実践しようと思っていた事があります。それは、お飲み物とスイートのもてなしです。
コーヒーとチョコ、あるいはクッキー。主が様々な場面で弟子たちと交わられるとき、そこに食事の描写が多々示されているように。主が食べ物を大切に取り扱っておられたように私は思えるので、大歓迎の気持ちを示すそのサービスは提供したいと思っておりました。
主がそれをさせてくださるなら、小さなものも大きく用いてくださる。ひとかけらのクッキーも一杯のコーヒーも、交わりの仲間に入れてもらえる時、不思議な効果を引き出します。それは主が働かれるから・・・。かつて、あるキリスト教書店に入った時に感じた、「ああもったいない、せっかく人々が出会っているのだから・・・」の思いを反芻しながら、そうだこれだ、少しの飲み物と少しの甘いものがあれば、それを口にしながら人々は交わるきっかけを掴む事ができる。クリスチャンとはわかっていても積極的に声をかけ、交わろうとする人は少ない。まだ、古い衣を着た自分がいるから・・・。人に対する恐れや不安は、救われているにもかかわらず、どこか心の片隅に残っているのです。
本屋ぴりぽに送られて来る方々にはそこで出会った人々と主にある交わりをしていただきたい。互いに励まし合っていただきたい。主が互いに引き合わせてくださった時間を大いに楽しんでいただきたい。そのような思いでいっぱいの私には、当然のプランでした。
クリスチャンといえど、ご自分から自己紹介をする方はあまりおられません。そこで、私とコーヒーとの出番なのです。「何々さん。こちらはどこそこにお住まいのAさんです・・・英会話の塾の先生をしておられたそうですよ・・・」とか、「Aさん、こちらはB教会の何さんです」と、このようにお互いの紹介のきっかけ作りをします。そうすると、今までまったく知らない者同士であった方が、色々な共通の友人や、信仰の話に花が咲き始めます。そして、思いがけない話題にも・・・。話が遡って、学生の時のことになると、一方はその学校の教師であり、片方はその学校の生徒であったとか、お互いが何十年ぶりかで再会し、現在はともにクリスチャンとして出会っている現状にびっくり! なんていう話もあります。今は兄弟姉妹と呼び合えるクリスチャン同士として、長い空白を埋める話に熱が入ります。
このようなエピソードは日常、いえ、このオープンの6日間の中で度々目にする光景です。そして互いに主に出会ったことを喜び合う。1%にも満たないキリスト教徒が奇跡のような再開に主にあって喜び合う。「ああこれですね。主よ」と、彼らの出会いの目撃者である私は大いに感動するのです。
私の大好きな御言葉、私がクリスチャンになって始めて覚えた、「ひと切れの乾いたパンがあって、平和であるのはご馳走と争いに満ちた家にまさる」は、私のホーム作りの心情になっていました。思い込みの激しい私は時に、「ひと切れのパン」を「一固まりのパン」と口ずさむ時があります。知らず知らずのうちに御言葉一つ覚えるのにも自我が出てしまっているということでしょうか。「ああー主よ」と、自分の愚かさに叫んでしまいますが、一固まりのクッキーではなく、ひと切れのクッキーと飲み物が、こんなにも主にあって祝福されるのを見たことはありません。まさに「神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか」と伝道者が言っているように、ひと切れのクッキーもコーヒーも、神を恐れ、神を知る者が味わい、飲むからこそ、そこに大きな祝福がいただけるのでしょう。
本屋ぴりぽには、単に本を買いに来る人たちではなく、多くの人々が主にある兄弟姉妹と交わりを求めて来られます。主が5つのパンを大いに祝されたように、小さなクッキーひと切れをも、驚くばかりの豊かさで祝福してくださっています。
さて、さて、こんなに祝福されるクッキーはどのようにして毎回つくられるのでしょうか。そのエピソードは次回に。
■ 本屋ぴりぽの生い立ち: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)
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塚本春美(つかもと・はるみ)
兵庫県生まれ。1984年三重県四日市市で受洗。家族は夫と子ども3人。2006年、夫の転勤先で現在の本屋ぴりぽのビジョンを主からいただき現在に至る。ライフ・ホープ・ネットワークのボランティアカウンセラー。
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