こうして、由子さんが祈っていたビジョンの第1段階が実現した。次は由子さんの伴侶である。
常識的に考えて、これは難問だった。
第一に、由子さんや私が卒業したTCCは、所属する教団の信仰と少し違うのである。信仰が違えば、生活も牧会も違ってくる。だから由子さんの周囲の牧師先生がお見合いの話を持ってきても成立しなかった。
第二に、男の牧師のもとに、助け手である女性が結婚によって来ることがあっても、女性の由子さんのもとに、しかも信仰が異なる牧師たちの真っただ中へ牧師として来ようという人がいるかどうか。
第三に、岩松は田舎である。その頃も今も、田舎に進んで赴任しようという若い牧師はなかなかいない。
由子さんもそのことは予測がついていて、TCCを卒業する時に、東京にとどまりたいという願いがあった。が、中川さんは優しいが、個性の強い人である。娘の自分が母教会を継ぎ、父親を牧していくしか教会の平和は保てないだろうと思った。
たしかに中川さんは、ひょうひょうとしている反面、偽善や不信仰が大嫌い。はっきりものを言う。「不信仰は伝染する(うつる)。気ぃつけんといかんで」と、よく私にも忠告してくれたものだ。
「さあ、私はこれから一生結婚しないで、男みたいになって伝道していくんだわ」
ああ、悲壮。私も同じようなルートをたどったからわかるが、21歳でこの決断をし、母教会へ帰った由子さんはエライ! しかし・・・牧会伝道は、一人では困難過ぎた。
中川さん夫妻は、由子さんの結婚についてどう考えていたのだろうか。由子さんは一度確かめてみた。
「私、このまま一生独身で終わるかも」。ちょっと期待があった。ご両親も現実に目覚め、あわてて結婚相手を探してくれるかと。ところが、二人とも喜んだ。「それも、え~な~」
由子さんは、がっくり。「もうこの親に任してはおけない」と奮い立った。お見合い写真をばらまいたわけではない。もっと確実な方法に訴えた。神様に祈った。韓国の祈祷院へも行き、3日間断食して祈った。
その時、ある牧師からアドバイスがあった。「あなたは自分の結婚のためにどう祈ってきましたか?」「はい、みこころの方と結婚できるようにと」「それだけではいけません。もっと具体的に、あなたの願いを神様にお伝えするのです」
由子さんが自分の願いを吟味すると、結婚相手について、10ほど浮かんできた。
1 家事にうるさくない人
2 ありのままの自分を受け入れてくれる人
3 牧師として自分のもとへ来てくれる人
4 子どもが好きな人
5 音楽に理解のある人
6 ・・・
祈り方を変えたとき、由子さんの心に一人の男性が浮かんだ。新垣達也。TCCの先輩。小柄で敏捷で身が軽い。授業に遅れそうになると、男子寮2階からぴょーんと飛び下りて、舎監の先生の心臓を縮めていた。卒業後、自教団の神学校で学んだ後沖縄の母教会へ帰ったことは知っていたが、まだ独身なのかどうかはわからなかった。
由子さんは、葉書を出すことにした。平凡な暑中見舞いだけの文面だったが、葉書に手を置いて祈って投函した。
片や、新垣達也牧師。沖縄の離島で牧師として働いていた。周囲から結婚のすすめはいくつもあったが、心動かず独身だった。その達也牧師が、由子さんからの暑中見舞いを受け取った時、「結婚」の二文字が心に浮かんだという。
由子さんのことは、新垣牧師の心に残っていた。彼女はTCCでは、よっちゃん、と呼ばれ、伝説の女だった。TCCでジョークが飛び、笑いが起きる時、由子さんだけ意味が分からなくて笑えない。由子さんは周りの学生に尋ねる。「ね、ね、ね、どうしておかしいの?教えて、教えて」。そして、皆の笑い声が収まった頃、教えてもらって意味の分かった由子さんの「うひゃひゃひゃ・・・」という笑い声が響くのだった。
また由子さんは、女子寮の自分の部屋で、アンパンにマーガリンを縫っているところを目撃されてしまった。あんことマーガリン……今でこそコンビニでも売られているポピュラーな組み合わせだが、当時は考えられない取り合わせだった。よっちゃんは、四国から出てきたおかしな女の子と見られてしまい、こうして伝説は増えていった。先に書いた「ジョア伝説」もかなり有名である。
元伝説の男牧師と女牧師同士、手紙による交際が始まった。遠く離れ、教団も違っている。互いに自分の働きの場を愛している。障害は山ほどあった。あきらめかけたこともあった。しかし神様は、那覇隣人キリスト教会の田中菊太郎先生を仲介者として与えて下さり、二人はゴールイン。
由子さんからの招待状の文面は、今でもはっきり覚えている。「主は私に夫を与えてくださいました。結婚式にはぜひ来て手伝ってください」。おーおー、やったね! またひとつ、ビジョンが実現したね。心が躍った。
二人には、長女の栄恵(さかえ)ちゃん、長男献志(けんし)くんが生まれた。
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井原博子(いはら・ひろこ)
1955年、愛媛県伊予三島(現四国中央市)生まれ。大学入試に大失敗し、これだけは嫌だと思っていた「地元で就職」の道をたどる羽目に。泣く泣く入社した会社の本棚にあった三浦綾子の『道ありき』を読み、強い力に引き寄せられるようにして近くのキリスト教会に導かれ、間もなく洗礼を受けた。「イエス様のために働きたい」という思いが4年がかりで育ち、東京基督教短期大学に入学。卒業後は信徒伝道者として働き、当時京都にあった宣教師訓練センターでの訓練と学びを経て、88年に結婚。二人の息子を授かる。現在は、四国中央市にある土居キリスト教会で協力牧師として働き、牧師、主婦、母親として奔走する日々を送る。趣味は書くこと。