中川義雄さんは、1987年1月19日に天に召された。由子さんは、お父さんのことをこう記している。
「ぶっきらぼうな父ではありますが、イエス・キリストに魅了され、主のために夢を追い続けた一生だったと思わされています。教会堂、祈祷院建築という夢を実現させると、さっさと天国へ行ってしまいました」
2004年1月3日、カズ子夫人も亡くなった。天国では、中川さんが「世界一の妻がやっと来た」とのろけているのではないかしら。
今回、これを書く許可を得るため、新垣牧師宅に電話し、さらに原稿をお送りし、私の記憶違いがないかどうか、チェックしていただいた。ご夫妻の声を聞いて、岩松に行きたくなってしまった。
しばらくお邪魔していないが、もしお訪ねしたら、中年になった新垣夫妻が暖かく迎えて下さるだろう。家は適度に散らかり(我が家のように)、由子夫人の手料理は、ヘルシーでおいしい。長らくご病気だったお母様、カズ子さんのため、病人食を工夫してこられたのだ。
長女の栄恵ちゃんは自閉症だ。彼女のことで人に気を遣い、頭を下げることも多い。20歳前後の頃は、栄恵ちゃんの力が強くなっていたので、由子さんは、家の中でもヘルメットをかぶっていたという。
由子さんは時に悩み、「自閉症の子どもは、持ってみないとその気持ちは決してわからない」「娘が静かに一緒に礼拝を守れるよう祈ってください」と書き送ってくる。
けれども「私はこの子を産んで育ててよかった」と言い切る。「栄恵のおかげで障害児のお母さんたちとのつながりができてね、クリスマスに100人くらい来てくれたんよ、感謝!」と声弾ませる。成人して力も強くなった栄恵ちゃんを、達也牧師が愛情深く受け止め世話されるのだそうだ。
食後、新垣牧師夫妻と私は、コーヒーを飲みながら、思い出話やこれからのビジョンをあれこれ。そして達也先生が、沖縄のイントネーションでのろけ始める。「よっちゃんはね、すばらしい伴侶なんですよ」。出たあ。TCCの同級生の間で、達也先生ののろけは有名。
「あ~、そうですか」。私は伝助餅をほおばり、牧師館の窓越しに、大きな星々を眺める。数えきれないその星の下では、大きな祈祷院が十字架を光らせ、静かにリバイバルの時を待っている。この祈祷院を見て、生きた証の新垣牧師夫妻にお会いするだけでも、信仰がリバイバルされることうけあいである。
まあ、いっぺん、岩松にきさいや。
祈り
宇和島に下りただけで
主の臨在を感じ、
津島の町に近づくだけで
聖霊に打たれ、
祈祷院で祈る祈りはみな
応えられていきますように。
新垣達也牧師、由子牧師
(終)
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井原博子(いはら・ひろこ)
1955年、愛媛県伊予三島(現四国中央市)生まれ。大学入試に大失敗し、これだけは嫌だと思っていた「地元で就職」の道をたどる羽目に。泣く泣く入社した会社の本棚にあった三浦綾子の『道ありき』を読み、強い力に引き寄せられるようにして近くのキリスト教会に導かれ、間もなく洗礼を受けた。「イエス様のために働きたい」という思いが4年がかりで育ち、東京基督教短期大学に入学。卒業後は信徒伝道者として働き、当時京都にあった宣教師訓練センターでの訓練と学びを経て、88年に結婚。二人の息子を授かる。現在は、四国中央市にある土居キリスト教会で協力牧師として働き、牧師、主婦、母親として奔走する日々を送る。趣味は書くこと。