第5章 心傷つき病む子どもたちの癒やしへの道
Ⅲ.アガペーによる全面受容の癒やしへの道
2)アガペーによる全面受容の癒やしが成されるための具体的な道
■ 癒やしへの具体的な道
⑧ 「同心」「同歩・同行」―先走らず、遅れず、寄り添いながら―
さて、これまた次によくよく心に留めなければならないことは、「同心」「同歩・同行」ということです。換言すれば、「決して先走らず、遅れず、ぴったりと寄り添いながら」ケアするということです。これはアガペーによる全面受容による癒やしを実現していくために、絶対不可欠な心掛けであると共に、絶対的必要事なのです。
第一の「同心」について言及すれば、心傷つき病んでしまっている者を癒やしてあげたいと思うなら、その人の「心」にしっかりと寄り添い、その人が思い、願い、したいと考えている、またその反対にしたくないと考えていることをよく理解して、その「心」もしくは「思い」に自らの「心」と「思い」のメモリをぴったりと合わせてあげることが大切です。まさに「同じ心」「同じ思い」となることが肝要です。ちなみに「同情」とか「憐れみ」という言葉がありますが、これらの言葉の原意は共に「同じ調べとなる」(同調する、調和する)という音楽的意味を持った言葉であるのですが、「同心」となるということは、まさしく心が「同じ調べを奏で」「調和する」ことを言うのです。この時、心傷つき病める者の心が安息し、癒やされ始めるのです。
第二に、「同歩・同行」ということですが、「同心」となった者は、その「同心」であることの「証拠」「証明」として、どこまでもその心傷つき病める者と「共に歩み」「行動を共に」しなければなりません。
今は亡き坂本九さんが歌い、一世をふうびしたかの歌「幸せなら手を叩こう」の中に「態度で示そうよ」という歌詞が出てきますが、まさしく「心」と「思い」を一つにした者は、その行動、態度においてもその真実を実証しなければなりません。概してこれらの心傷つき病んだ人々は、受容者がどれほど自分たちの心と思いを理解してくれたかを、その寄り添ってくれる態度や行動、生活によって確認したいという潜在願望を強く抱いているものです。しかも、彼らは自らの願っていることを実行しようとする場合に、しばしば自分一人でそれを成し遂げることに大きな不安を抱き、実行に移せず苦悩してしまうものです。そのような彼らにそっと寄り添いながらその行動を共にし、共に歩んであげることはどんなにか彼らを安心させ、勇気づけることになるかしれません。
ある著名な人が「愛することは共にいることである」と言っていますが、自己犠牲を甘受して相手をどこまでも受容し続け「アガペー」するということは、共にいてこそ意味づくことであり、共にいることなくしてはまったく実現不可能です。「同行」ということは、単に行動を共にするという以上に、共に身を置き、「共存」「共生」することを意味しています。悲しみも、喜びも共に分かち合い、賞賛を受ける時も、その反対に非難を浴びる時にも常に密着して離れず寄り添い続けるところに「同歩・同行」が実ります。これがアガペーによって全面受容するということであるのです。
第三に、「先走らず、遅れず、寄り添いながら」ということですが、これは相手がそこまで意識や理解、思いや感情が届いていないにもかかわらず、それが相手の益となり、相手のために良いことだからと言って、相手に先走って行動してしまう時、これは「同心」「同歩・同行」とはならず、その良かれと思ってしたことが、何と相手の苛立ちをひき起こしたり、不安や恐怖心を呼び起こしたりして、かえってあだとなってしまうのです。これはまさに大失敗です。その反対に相手が強く願望し、そうしたいと願っているにも関わらず、それはまだ早すぎるとか、それをしたならきっと失敗するだろうと考えて、相手の要求に沿うことを遅らせたり、とどめたりするならば、これまた「同心」「同歩・同行」とはならず、相手の怒りや憤りをひき起こす結果となり、癒やしには繋がらず、むしろますます事態を悪化させてしまうことになるでしょう。そこで何よりも大事なことは、「同心」「同歩・同行」することによって、どこまでも相手に寄り添って同じ思いとなり、共に歩み、共に行動し、共に身を置いて人生を分かち合って生活し続けることなのです。その時、彼らは心安らかになり、行動しやすくなり、仮にもしそれで失敗したとしても、あくまでも自分の思い通りにしたのであって、それにもかかわらず自分に寄り添い続けてくれた受容者に申し訳なさと共に感謝の念を覚えて、より信頼と愛が増し加わることに至るでしょう。これこそが大切であって、良い結果がすぐに出るか出ないかは問題ではないのです。ですからあくまでも先走らず、出遅れず、相手の思いと行為に寄り添って「同心」「同歩・同行」することが肝要なのです。このことの重要さを果たしてどれだけ理解していただけたでしょうか。(続く)
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