リヤカーでの行商が始まった。中川さんは、自分が人に良く騙されやすいので、どんな時も祈って神様の判断に従いながら衣料品を売って歩いた。また神様は隠れたことも見ておられることを知り、正直に商売していった。
例えば、客が買おうとしている服は、お金をもらう前に必ず厳しくチェックする。そして、ほつれや変色などがあったら、どんなに小さくても自分から客に知らせ値引きした。
「中川はんから買うたらええで」と評判を呼んで繁盛し、まもなく行商を畳んで、商店街の良い場所に店を構えるまでになった。中川衣料品店の誕生である。
店を構えても営業方針は変わらなかった。中川さんが正直に商売し、カズ子夫人が裾やサイズ直しを受け持つ。結婚前は洋裁を教えていたので仕上がりが美しく、客はますます増えていった。
夫婦が36歳の時、女の子が生まれた。由子と名付けた。
試みもあった。ある朝、中川さんが祈っていると、悪魔の高笑いのようなものが聞こえた。いぶかしく思っていると、その日「大型スーパーが岩松に進出してくる」というニュースが入った。小売店にとっては、脅威である。
数日後、いつものように祈る中川さんの心に、「今日、福音(良い知らせ)があります」という語りかけがあった。するとやはりその日、小売りの衣料品店連合から「わたしたちのグループに加入しませんか」との呼びかけがあった。中川さんは導かれるままに加入した。また、正直を見込まれて、地元の小・中・高の制服を取り扱う指定も受けた。
連合に加入し、正直な商売を続け、一年を通して制服や体操服の定収入が保証された。後に大型スーパーが進出してきても、売り上げは落ちないどころか上昇していたのである。
中川衣料品店の一日は、礼拝で始まる。中川夫妻の独特の、こぶしをきかせた節回しで賛美がリードされ、聖書を読み祈る。中川さんは「主は今生きておられる」と「権勢によらず能力によらず神の霊によりてこの山は移る」という賛美が好きだった。
シャッターを開けてからは、客が途切れることがない。品物も、店長副店長が大阪や東京へ出かけていき、実に大ざっぱに仕入れ、いいかげんに積み上げるのだが、気が付けば売れて減っていた。店内にはいつも神様のご臨在があった。
閉店後、中川夫妻はその日の売上を数え、神様に感謝し、十分の一を取り分ける。それは会堂建設のために積み立てられていった。行商一日目から、欠かさず、毎日続けられたことだった。
■ イエス・キリストに魅了された人:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
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井原博子(いはら・ひろこ)
1955年、愛媛県伊予三島(現四国中央市)生まれ。大学入試に大失敗し、これだけは嫌だと思っていた「地元で就職」の道をたどる羽目に。泣く泣く入社した会社の本棚にあった三浦綾子の『道ありき』を読み、強い力に引き寄せられるようにして近くのキリスト教会に導かれ、間もなく洗礼を受けた。「イエス様のために働きたい」という思いが4年がかりで育ち、東京基督教短期大学に入学。卒業後は信徒伝道者として働き、当時京都にあった宣教師訓練センターでの訓練と学びを経て、88年に結婚。二人の息子を授かる。現在は、四国中央市にある土居キリスト教会で協力牧師として働き、牧師、主婦、母親として奔走する日々を送る。趣味は書くこと。