しかしその2年後、由子さんがTCCを卒業、岩松キリスト教会に赴任する形で帰ってから、にわかに会堂・祈祷院建設が具体的になっていく。
中川さんは考えた。「教会堂だけでなく、大きな修養会などにも利用してもらえるものを建てたい。リバイバルの受け皿としての祈祷院も」。そして、設計図が引かれた後も、何度も計画を変更し、納得いくものを求めた。
旧約聖書のモーセは、神様から幕屋の型を示され、その通りに作った。おそらく中川さんも「神様が示された」と確信できるまで設計を変更していったのではないだろうか。中川さんは、自分と家族は古い店の2階で、商品のストックに囲まれて生活する中、神様のためには最良のものを建てるつもりだったのだ。
設計の図面を引いたのは、日本基督教団松山山越(やまごえ)教会教会員の森一清(かずきよ)氏。氏は、中川さんが数えきれないほど変更を求めても、気持ちよく図面を作り直した。設計も、その規模だと一度引き直すのに約100万はかかる。が、森氏は一度も文句を言わず請求せず、最後に正当な報酬として渡された100万円も「会堂建設のために」と、全部献金された。
建設費用は分割して支払われた。その時々に思いがけない献金があり、滞ることはなかった。一度、期日になってもお金が不足し、祈ってもどこからも送られてこないことがあった。ふと思いついて、礼拝堂の入り口に置かれてある献金箱をひっくり返してみると、ちょうど不足分が補えたこともあったという。
こうして、田んぼの真ん中、山のふもとに、大祈祷院は建った。
1階には礼拝堂、母子室、40畳の大広間、大小のキッチン、広い浴室2つとトイレ、管理人室がある。2階はベッド・トイレ・洗面所付の講師のための個室と、8人から10人は泊まれる畳の部屋9部屋が、廊下を挟んで並ぶ。突き当たりに男女別の水洗トイレと洗面所がある。祈祷院というと、何か特別な場所を連想するが、1人から100人まで受け入れ可能な宿泊設備と駐車場を備えた、大きな教会なのである。
完成してから25年間、そこは、高齢の方の静かな集会からCSキャンプ、断食聖会から日基教団の集会まで、幅広く利用されてきた。ひとり静まり祈りに専念したい人が訪れてくることもある。旅行中のクリスチャンホームも受け入れてくれる。広い建物、長い廊下、子どもたちはのびのびできる。
1人一泊1000円、プラス、シーツのクリーニング代300円だけで、ふとんからキッチン、風呂まで自由に使える。建物を汚したり破損したりさえしなければ、お散歩しようが、昼寝しようが、逆立ちしようが、そこが礼拝堂でなければ、牧師夫妻は干渉しない。必要とされるときだけ手を貸してくれる。
神様との交わりを深めるのに、これ以上の場はないかもしれない。
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井原博子(いはら・ひろこ)
1955年、愛媛県伊予三島(現四国中央市)生まれ。大学入試に大失敗し、これだけは嫌だと思っていた「地元で就職」の道をたどる羽目に。泣く泣く入社した会社の本棚にあった三浦綾子の『道ありき』を読み、強い力に引き寄せられるようにして近くのキリスト教会に導かれ、間もなく洗礼を受けた。「イエス様のために働きたい」という思いが4年がかりで育ち、東京基督教短期大学に入学。卒業後は信徒伝道者として働き、当時京都にあった宣教師訓練センターでの訓練と学びを経て、88年に結婚。二人の息子を授かる。現在は、四国中央市にある土居キリスト教会で協力牧師として働き、牧師、主婦、母親として奔走する日々を送る。趣味は書くこと。