ビジネスマンになる前に出会った数々の試練・苦難 その2
2つ目の試練・苦難は、高校の修学旅行の際、汽車から落ちて頭を強く打ち意識不明となるが、近くの病院で頭の手術を受け、一命をとりとめたということである。
私は下関市にある高校の2年生の時、修学旅行で東京に行くことになった。それは今から約50年も前のことである。当時は寝台列車すら満足にない時代であり、仕方なく貨物列車の後ろに客車を連結し、その客車に座ったままの姿勢で、しかも8月という暑い夏の季節に、下関から東京まで約20時間の旅をすることになった。昼頃下関駅を出発したが、夜は座ったままの姿勢、しかも暑い中では満足に眠ることもできず、明け方列車が静岡駅で一時停車した時には、私の頭はもうろうとしていた。静岡駅のホームで顔を洗い、列車に乗って出発した時、私は涼を求めてデッキに立っていた。ここまでは記憶があるが、その先は全く記憶がない。気がついた時は病院のベッドで、頭を包帯でぐるぐる巻きにされ、その周囲を冷やされて寝かされていた。
同級生の話では、静岡駅を出発して間もなく、列車がガタガタと揺れた時に、私は列車から振り落とされたようである。駅の構内のために線路が複雑に入り乱れており、そのため列車はそこを通過する時に、激しく横揺れしたためと思われる。私は頭をレールに強く打ったようである。今でも後頭部の頭蓋骨の一部がへこんでいることからそのことが分かる。そして、意識不明となって線路の脇にころがっていたようである。たまたま落ちる所を見ていた同級生には、私が列車の車輪の中に巻き込まれたように見えたらしく、客車内は騒然となったとのことである。しかし、貨物列車の後ろに繋がれている客車からは、列車の運転手に連絡することができず、列車は止まることなく走り続け、先生は次の停車駅で降りて大あわてで引き返して来た。
私が列車から落ちた時は朝の6時頃で、ちょうど駅員の交代時期であったことが幸いした。また夏で、私が白いシャツを着ていたことも幸いであった。駅員が線路の脇に落ちている白い物体に気がつき、近寄ってみると人が落ちているということで、直ぐに私を近くの病院に運び込んでくれた。その運び込まれた病院で、幸いにも開頭手術によって頭内に溜まった血を直ぐに取り出すことができ、私は一命を取り留めた。その時の手術で私の頭蓋骨の一部は切り取られて欠損し、現在もそのままの状態である。当時、開頭手術のできる病院は大変少なかったようで、運び込まれた病院は、その付近でも非常に高名な外科医のいるところであった。このことも、本当に幸いであった。
郷里の新聞には、私が死んだという記事が載ったそうである。また翌年、私と同じように、同じ場所で列車から落ちた人がいたようだが、その方は亡くなったとも聞いた。本当に幾つもの幸いが重なって、私は一命を取り留めた。神の見えざる御手によって、私は死の淵から引き上げられたとしか言いようがない。そのことを、神に心から感謝している。ただ多くの同級生には、折角の楽しい時を台無しにしてしまい、今でも大変申し訳なく思っている。
《 参考文献を表示 》 / 《 非表示 》
(参考並びに引用資料)
[1]門谷晥一(2006年)『働くことに喜びがありますか?』NOA企画出版
[2]ジョン・A・バーンバウム、サイモン・M・スティアー(1988年)『キリスト者と職業』村瀬俊夫訳、いのちのことば社
[3]山中良知(1969年)『聖書における労働の意義』日本基督改革派教会西部中会文書委員会刊
[4]カール・F・ヴィスロフ(1980年)『キリスト教倫理』鍋谷堯爾訳、いのちのことば社
[5]唄野隆(1995年)『主にあって働くということ』いのちのことば社
[6]宇田進他編(1991年)『新キリスト教辞典』いのちのことば社
[7]山崎龍一(2004年)『クリスチャンの職業選択』いのちのことば社
[8]ケネ・E・ヘーゲン『クリスチャンの繁栄』エターナル・ライフ・ミニストリーズ
[9]D・M・ロイドジョンズ(1985年)『働くことの意味』鈴木英昭訳、いのちのことば社
[10]唄野隆(1979年)『現代に生きる信仰』すぐ書房
[11]ルーク・カラサワ(2001年)『真理はあなたを自由にする』リバイバル新聞社
[12]ヘンドリクス・ベルコフ(1967年)『聖霊の教理』松村克己&藤本冶祥訳、日本基督教団出版局
[13]ピーター・ワグナー(1985年)『あなたの賜物が教会成長を助ける』増田誉雄編訳、いのちのことば社
[14]ケネス・C・キングホーン(1996年)『御霊の賜物』飯塚俊雄訳、福音文書刊行会
[15]エドウィン・H・パーマー(1986年)『聖霊とその働き』鈴木英昭訳、つのぶえ社
[16]遠藤嘉信(2003年)『ヨセフの見た夢』いのちのことば社
[17]唄野隆(1986年)『主に仕える経済ライフ』いのちのことば社
[18]東方敬信(2001年)『神の国と経済倫理』教文館
[19]E・P・サンダース(2002年)『パウロ』土岐健治&太田修司訳、教文館
[20]松永真里(2001年)『なぜ仕事するの?』講談社
[21]厚生労働省編(2005年)『労働経済白書(平成一七年版)』国立印刷局発行
[22]ダニエル・フー「Goal-Setting」、国際ハガイセミナー資料(2005年、シンガポール)
[23]ジョン・ビョンウク(2005年)『パワーローマ書』小牧者出版
[24]ジョン・エドムンド・ハガイ(2004年)『聖書に学ぶリーダーシップ』小山大三訳、ハガイ・インスティテュート・ジャパン
[25]国際ハガイセミナー資料(シンガポール、2005年7月)
[26]ポール・J・マイヤー(2003年)『成功への25の鍵』小山大三訳、日本地域社会研究所
[27]国内ハガイセミナー資料(名古屋、2004年11月)
[28]三谷康人(2002年)『ビジネスと人生と聖書』いのちのことば社
[29]安黒務(2005年)「組織神学講義録、人間論及び聖霊論」関西聖書学院
[30]平野誠(2003年)『信念を貫いたこの7人のビジネス戦略』アイシーメディックス
[31]マナブックス編(2004年)『バイブルに見るビジネスの黄金律』いのちのことば社
[32]マナブックス編(2006年)『バイブルに見るビジネスの黄金律2』いのちのことば社
[33]山岸登(2005年)『ヤコブの手紙 各節注解』エマオ出版
[34]野田秀(1993年)『ヤコブの手紙』いのちのことば社
[35]デイビッド・W・F・ワング(2008年)『最後まで走り抜け』小山大三訳、岐阜純福音出版会
(その他の参考資料)
・林晏久編(2004年)『刈り入れの時は来た—ビジネスマン・壮年者伝道ハンドブック』いのちのことば社
・大谷順彦(1993年)『この世の富に忠実に』すぐ書房
・H・F・R・キャサーウッド(1996年)『産業化社会とキリスト教徒』宮平光庸訳、すぐ書房
・鍋谷憲一(2005年)『もしキリストがサラリーマンだったら』阪急コミュニケーションズ
・マックス・ヴェーバー(1989年)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波書店
・小形真訓(2005年)『迷ったときの聖書活用術』文春新書
・ウォッチマン・ニー(1960年)『キリスト者の標準』斉藤一訳、いのちのことば社
・ロナルド・ドーア(2005年)『働くということ』石塚雅彦訳、中公新書
・共立基督教研究所編(1993年)『聖書と精神医学』共立基督教研究所発行
・生松敬三(1990年)『世界の古典名著・総解説』自由国民社
・バンソンギ「キリスト教世界観」石塚雅彦訳、CBMC講演会資料(2005年)
・William Nix, 『Transforming Your Workplace For Christ』, Broadman & Holman Publishers, 1997
・ミラード・J・エリクソン(2005年)『キリスト教神学』第三巻、伊藤淑美訳
・ヘンリー・シーセン(1961年)『組織神学』島田福安訳、聖書図書刊行会
・ジョージ・S・ヘンドリー(1996年)『聖霊論』一麦出版社
・ウィリアム・ポラード(2003年)『企業の全ては人に始まる』大西央士訳、ダイヤモンド社
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)
(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)
◇
門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。