(3)出会った数々の試練・苦難
キリスト者としての30年間の研究開発生活において、私は様々な試練・苦難に出会った。2003年12月に退職し、すでに年数が経過したので、出会った試練・苦難の一つ一つの記憶はあまり明確ではない。そのため、ここでそれらの詳細を記すことはできない。また、ビジネスマン生活で体験される試練・苦難は、それぞれの読者にとって異なると思われるので、私の出会った試練・苦難の詳細を記してもあまり意味がないようにも思う。そこでここでは、私がビジネスマン生活で出会った主な試練・苦難を、大くくりにまとめて紹介することとしたい。恐らくこれらの試練・苦難は、多くのビジネスマンの方々も、同じように体験しておられることであると思う。
なかなか解決できないこと
ビジネスマン生活においては、目標を立てて活動を行うことが一般的である。しかしその目標は、期限や金銭的及び人的資源などの厳しい制約がある上で設定されることが多い。そのため、いくらがんばっても、努力しても、どうしても目標に届きそうにないという時、またそのための良い解決法が見つからないという時が多くある。そのような時、ビジネスマンは悩み、苦しみ、もがく。私もこの試練・苦難には本当に多く出会った。これはビジネスマン生活において最も頻繁に起こり得る試練・苦難といえよう。
人間関係
これはビジネスの世界にかかわらず、人間生活の全般において常に問題となることである。しかし、ビジネスの世界においては、同じ上司や部下たちとの関係がかなり長期にわたって続く場合が多い。また自分の一存でその関係を簡単に変えることができない。さらに嫌だからといってその関係から離れることもできないなど、人間関係における制約が色々とあるため、問題はより困難である。私もビジネスマン生活において、人間関係における試練・苦難を多く経験した。この問題はビジネスマン生活における試練・苦難の大きな部分を占めていると思われる。
肉体的な疲れ
日本におけるビジネスマンの生活は、いつの時代においても「忙しい」という言葉で特徴付けられるものではないかと思う。そしてまた、多くのビジネスマンが、肉体の慢性的な疲れの状態にあるのではないかとも思う。私自身は、必ずしもいつも忙しいという状況にはなかったが、それでもしばしば大変忙しい状況となり、肉体的に非常に疲れるという経験をした。この試練・苦難は、日本においてビジネスマン生活を続けていく限り、避けて通れないものといえよう。
将来への不安、エンドレス感
これは短期的で具体的な問題にかかわる試練・苦難というよりも、長いビジネスマン生活の中で、心の中に徐々に根を降ろしていく漠然とした試練・苦難ということができよう。このまま行くと自分の将来はどうなっていくのかという思い、またいつまでたっても終わりが見えずエンドレスであるという思いなどが、徐々に心を占めるようになり、そのような思いから抜け出せなくなる時がある。それがひどくなると試練・苦難と呼べるような状況ともなる。これはビジネスマンの生き方の根源にかかわる試練・苦難ということができよう。私はキリスト者であり、信仰によって自分の人生の行き着く先がどこであるのか分かっていたので、将来への不安というものはほとんどなかった。ただ、未解決の問題に長期にわたって取り組んでいるような時に、エンドレス感が迫ってきて辛かったことが多くあったことを記憶している。
不平等感、不当な評価などの思い
自分が不平等に扱われている、また不当に扱われているというような思いにとらわれてしまい、中々その思いから抜け出せなくなるということがある。このような思いは、客観的に見るなら必ずしもそうではないのだが、主観的な思いにとらわれ、自分が不利な立場に置かれていると思い込んでしまうことからくることが多い。そして、そのような思いがどんどん膨らみ、そこから中々抜け出せないような場合には、試練・苦難と呼べるような状況にまで至る。私も、そのような思いにとらわれたことがあった。
自分の力で解決できないと思えること
ビジネスマン生活においては、自分たちの努力やがんばりではどうしても解決できないと思えることが起きる。例えば、別の会社と共同でプロジェクトを組んで目標に向かって進んでいる時、その別の会社が倒産してしまったり、経営状態が悪化してそのプロジェクトを辞めざるを得ないような状況になってしまったりすることがある。そのプロジェクトにはすでに多くの資源をつぎ込んでしまっているので、簡単には辞めることはできない。そうかといって、自分たちの努力やがんばりだけでは前に進めることもできない。そのような場合、どのようにすべきか悩み、苦しむ。そして、場合によっては、ビジネスマン生活そのものを続けることができるかどうかというほどの大きな試練・苦難ともなる。私もビジネスマン生活で幾度かこのような試練・苦難に出くわした。
理不尽と思えること
自分が理不尽な扱いを受けていると思い、中々その思いから抜け出せなくなるということがある。このことも、客観的に見るなら必ずしもそうではないのだが、主観的な思いにとらわれ、自分が不当に扱われているのは正しくないと律法的に思い込んでしまうことからくることが多い。私も、なぜ自分が理不尽な扱いを受けなければならないのかと悩んだことがあった。そのような悩みが膨らみ、そのことにとらわれてしまうなら、試練・苦難と呼べるような状況ともなる。
過剰なノルマと思えること
自分の能力を越えると思うようなノルマを課せられることがある。自分の希望で、また自分のために過剰なノルマを引き受けるような場合、それはほとんど試練・苦難にはならない。しかし、自分の希望ではなく、むしろ一方的に押し付けられて嫌々ながらそれを受け入れざるを得ないような場合、その過剰なノルマは試練・苦難となる。この試練・苦難は、肉体的な疲れによる試練・苦難とも関係するが、押し付けられ、強制されて行うということによる、心理的な負担がかなり大きなウエイトを占めると思われる。
以上、私が30年間のビジネスマン生活で出会ったと思う、取りあえず思い出せる主な試練・苦難を大くくりにまとめて紹介した。では、私はこれらの主な試練・苦難を、どのように信仰によって助けられ、また神の特別恩恵によって守られ、乗り越えたのであろうか。次に、そのことを述べたい。(続く)
《 参考文献を表示 》 / 《 非表示 》
(参考並びに引用資料)
[1]門谷晥一(2006年)『働くことに喜びがありますか?』NOA企画出版
[2]ジョン・A・バーンバウム、サイモン・M・スティアー(1988年)『キリスト者と職業』村瀬俊夫訳、いのちのことば社
[3]山中良知(1969年)『聖書における労働の意義』日本基督改革派教会西部中会文書委員会刊
[4]カール・F・ヴィスロフ(1980年)『キリスト教倫理』鍋谷堯爾訳、いのちのことば社
[5]唄野隆(1995年)『主にあって働くということ』いのちのことば社
[6]宇田進他編(1991年)『新キリスト教辞典』いのちのことば社
[7]山崎龍一(2004年)『クリスチャンの職業選択』いのちのことば社
[8]ケネ・E・ヘーゲン『クリスチャンの繁栄』エターナル・ライフ・ミニストリーズ
[9]D・M・ロイドジョンズ(1985年)『働くことの意味』鈴木英昭訳、いのちのことば社
[10]唄野隆(1979年)『現代に生きる信仰』すぐ書房
[11]ルーク・カラサワ(2001年)『真理はあなたを自由にする』リバイバル新聞社
[12]ヘンドリクス・ベルコフ(1967年)『聖霊の教理』松村克己&藤本冶祥訳、日本基督教団出版局
[13]ピーター・ワグナー(1985年)『あなたの賜物が教会成長を助ける』増田誉雄編訳、いのちのことば社
[14]ケネス・C・キングホーン(1996年)『御霊の賜物』飯塚俊雄訳、福音文書刊行会
[15]エドウィン・H・パーマー(1986年)『聖霊とその働き』鈴木英昭訳、つのぶえ社
[16]遠藤嘉信(2003年)『ヨセフの見た夢』いのちのことば社
[17]唄野隆(1986年)『主に仕える経済ライフ』いのちのことば社
[18]東方敬信(2001年)『神の国と経済倫理』教文館
[19]E・P・サンダース(2002年)『パウロ』土岐健治&太田修司訳、教文館
[20]松永真里(2001年)『なぜ仕事するの?』講談社
[21]厚生労働省編(2005年)『労働経済白書(平成一七年版)』国立印刷局発行
[22]ダニエル・フー「Goal-Setting」、国際ハガイセミナー資料(2005年、シンガポール)
[23]ジョン・ビョンウク(2005年)『パワーローマ書』小牧者出版
[24]ジョン・エドムンド・ハガイ(2004年)『聖書に学ぶリーダーシップ』小山大三訳、ハガイ・インスティテュート・ジャパン
[25]国際ハガイセミナー資料(シンガポール、2005年7月)
[26]ポール・J・マイヤー(2003年)『成功への25の鍵』小山大三訳、日本地域社会研究所
[27]国内ハガイセミナー資料(名古屋、2004年11月)
[28]三谷康人(2002年)『ビジネスと人生と聖書』いのちのことば社
[29]安黒務(2005年)「組織神学講義録、人間論及び聖霊論」関西聖書学院
[30]平野誠(2003年)『信念を貫いたこの7人のビジネス戦略』アイシーメディックス
[31]マナブックス編(2004年)『バイブルに見るビジネスの黄金律』いのちのことば社
[32]マナブックス編(2006年)『バイブルに見るビジネスの黄金律2』いのちのことば社
[33]山岸登(2005年)『ヤコブの手紙 各節注解』エマオ出版
[34]野田秀(1993年)『ヤコブの手紙』いのちのことば社
[35]デイビッド・W・F・ワング(2008年)『最後まで走り抜け』小山大三訳、岐阜純福音出版会
(その他の参考資料)
・林晏久編(2004年)『刈り入れの時は来た—ビジネスマン・壮年者伝道ハンドブック』いのちのことば社
・大谷順彦(1993年)『この世の富に忠実に』すぐ書房
・H・F・R・キャサーウッド(1996年)『産業化社会とキリスト教徒』宮平光庸訳、すぐ書房
・鍋谷憲一(2005年)『もしキリストがサラリーマンだったら』阪急コミュニケーションズ
・マックス・ヴェーバー(1989年)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波書店
・小形真訓(2005年)『迷ったときの聖書活用術』文春新書
・ウォッチマン・ニー(1960年)『キリスト者の標準』斉藤一訳、いのちのことば社
・ロナルド・ドーア(2005年)『働くということ』石塚雅彦訳、中公新書
・共立基督教研究所編(1993年)『聖書と精神医学』共立基督教研究所発行
・生松敬三(1990年)『世界の古典名著・総解説』自由国民社
・バンソンギ「キリスト教世界観」石塚雅彦訳、CBMC講演会資料(2005年)
・William Nix, 『Transforming Your Workplace For Christ』, Broadman & Holman Publishers, 1997
・ミラード・J・エリクソン(2005年)『キリスト教神学』第三巻、伊藤淑美訳
・ヘンリー・シーセン(1961年)『組織神学』島田福安訳、聖書図書刊行会
・ジョージ・S・ヘンドリー(1996年)『聖霊論』一麦出版社
・ウィリアム・ポラード(2003年)『企業の全ては人に始まる』大西央士訳、ダイヤモンド社
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)
(15)(16)(17)(18)(19)(20)(21)
◇
門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)