神学校生活を体験・その3
では次に、この神学校生活で体験したことを紹介したい。大いなる期待を持って神学校に入学したものの、入学当初は本当に苦しい生活を余儀なくさせられた。それは私の身のまわりで多くの環境の変化が、一度にしかも急に起きたためである。例えば、生活圏が関東圏から関西圏に、生活スタイルが会社生活から学校生活に、自宅での生活から寮での生活に、夫婦2人の生活から1人の生活に、管理職(壮年)の世界から生徒(若者)の世界に、さらに取り組む対象が工学の世界から神学の世界に、というようにいろいろなことが変化した。60歳という高齢で順応力の低下していた私にとって、このような急激な環境変化になじむのは容易なことではなかった。
しかし苦しかったのは、このような環境変化によるものばかりではなかった。もっと基本的なところで変化が求められたことが、苦しさをより大きいものとした。その苦しさは結局神学校を卒業するまで続くものであったが、それは、徹底的に失い、また徹底的に砕かれるという訓練によるものであった。36年間の会社生活では、神の一般恩恵と特別恩恵をいただいて、多くの試練・苦難はあったものの、それなりに祝福された生活を送ることができた。従って、神学校生活もそれなりに良好な生活を送ることができるものと安易に予想していた。しかし実際には、徹底的に失い、また徹底的に砕かれるという訓練を通して、予想とは異なる試練・苦難を受け続けることとなった。
この徹底的に失うという意味は、それまでの人生で得てきた知識を失うとか、会社生活で経験してきた良きもの、例えば規律とか協調性などを失うというようなことではない。それは、その時まで自分が知らず知らずに染まってきたもの、すなわちこの世の価値観や考え方や自分の思い通りのやり方などを捨て、自己の内側を空にするということである。また徹底的に砕かれるという意味は、自我、すなわち自己主張やプライドなどに死ぬということである。この徹底的に失い、また徹底的に砕かれるという訓練は、神への絶対的な服従と忠誠、また謙遜さを持つようにさせるものであり、常に神を第一とし、神の御心に沿って生きるようにさせるためのものである。
私はビジネスマンの時代にも、神を第一とし、神の御心に従って生きるよう努力したつもりである。しかし、神学校で求められたのは、より徹底した神への従順や忠誠、また謙遜さであった。すなわちそこではより高いレベルでの神への献身が求められた。そのために私は、多大の試練・苦難を味わうこととなった。ビジネスマン生活においては、会社というこの世の組織の中で、上司、同僚、部下、他社の人という、いわば未信者であるこの世の人たちと協力して物事を行うことが日々の営みであった。それ故、長いビジネスマン生活の間に、神の御心に沿うというより、むしろこの世の価値観や考えややり方によって物事を行う《doing》という習性が、知らず知らずのうちに自己の内に形成されていたように思う。そのような習性を捨てさせ、ただ神と共にあり《being》、神の御心に沿って歩むように造り変えるのが、この訓練の主な目的であったと思う。ただ、長期間にわたって徐々に形成されてきたものを、短期間で取り去り、新しいものとして造り変えるという作業は、私にとってかなり内面の苦しみや痛みを伴うものであった。それ故この訓練は、私にとってビジネスマン時代とは違う意味での大いなる試練・苦難であった。本当に途中でもう辞めたいと思うことが何度もあった。しかし、今牧師となってその時を振り返るとき、この訓練は牧師となるためには避けて通れないものであったし、私にとって不可欠なものであったとつくづく思う。訓練を与えてくださった神に、また神学校の諸先生方に、今あらためて心より感謝したいと思う。
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(参考並びに引用資料)
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・ヘンリー・シーセン(1961年)『組織神学』島田福安訳、聖書図書刊行会
・ジョージ・S・ヘンドリー(1996年)『聖霊論』一麦出版社
・ウィリアム・ポラード(2003年)『企業の全ては人に始まる』大西央士訳、ダイヤモンド社
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門谷晥一(かどたに・かんいち)
1943年生まれ。東京大学工学部大学院修士課程卒業。米国ミネソタ州立大学工学部大学院にてPh.D.(工学博士)取得。小松製作所研究本部首席技監(役員待遇理事)などを歴任。2006年、関西聖書学院本科卒業。神奈川県厚木市にて妻と共に自宅にて教会の開拓開始。アガペコミュニティーチャーチ牧師。著書に『ビジネスマンから牧師への祝福された道―今、見えてきた大切なこと―』(イーグレープ)。