宗教は人を狂わせる、あるいは愚かにする。常識や理性が通用しなくなることもある。宗教には凝らないほうが良い。宗教は人を愚かにする。
確かに、“人を狂わせる”、“人を愚かにする”、そんな側面をもつ宗教もあります。そのような宗教にのめり込んで、財産を失ってしまったり、人生をめちゃめちゃにされてしまったり、そんな人の話を時々耳にします。宗教によっては、近づく者をマインド・コントロールにかけ、その組織のいいなり(ロボット)にしてしまうものもあります。そういう意味で、宗教には気を付けなければなりません。
本来、宗教は(広い意味で)人を賢くし、道徳的に正しくし、人を最大限人たらしめるものです。ところが前述のように悪い結果をもたらすものがある。それは、その宗教が本当の宗教でないことを示しています。木は結ぶ実によって分かると言われているとおり、悪い結果をもたらす宗教は悪い宗教と言わねばなりません。宗教にもピンからキリまであるのです。
そのような中で、キリスト教(いや宗教という範疇[ちゅう]でなく)、キリスト信仰の道は、大きな歴史観と確固とした価値観、それに何千年来の知恵を与えてくれ、生きる意味・目的を示してくれるものです。時代の波風に揺さぶられず、他方、自分の罪を厳しく見つめ、悔い改めと赦(ゆる)しの信仰により神の前に正しく、謙虚に生きさせるものです。聖書に基づき、神の世界観に立って、愛と平和を求めて献身的に生きることを教えます。それがある時、人間の常識を超え、打算を超えて、隣人や社会のために愛をもって生きるようになるとき、周囲から見れば愚かに見えるかもしれません。でもそれは、自己中心的な、冷たい人間社会を癒やし、崇高な活動や真に温かい人間関係、力強い生き方をもたらします。単なる道徳や哲学では得られないものとなるのです。
現に、キリストの神信仰は、この2千年多くの良いことをしてきました。奴隷解放、残虐な諸制度の廃止、週休制度の確立、病者看護制度、初等教育制度、赤十字制度、孤児院の開設、盲者・ろうあ者・障害者への福祉施設や制度、監獄改良、苦汗労働の廃止と労働基準の設定、ホスピスの開始、都市貧困者やスラムへの対策、男女平等原則、一夫一婦制、代議制民主主義の導入など、近代文明に大きく貢献してきました。わが日本も明治以来、それらを取り入れることにより近代化し、キリスト信仰の恩恵をたくさん受けているわけです。
キリスト信仰はまた、社会や世界に有益な人材を提供してきました。そのほんの一例を挙げても、アウグスチヌス、ダンテ、ミケランジェロ、ガリレオ、ルター、カルヴァン、ミルトン、バンヤン、セルバンテス、フランシス・ベーコン、デフォー、ディッケンズ、パスカル、ハイネ、トルストイ、ドストエフスキー、ルオー、ラファエロ、ミレー、クロムウェル、テニスン、ペスタロッチ、フリードリッヒ3世、キルケゴール、シュペーナー、ウェスレー、フォックス、カーライル、ジョージ・ミュラー(孤児院創設)、ジョン・ハワード(監獄改良)、ボイル、フック、デュナン(赤十字制度)、ナイチンゲール(看護婦制度)、シャフツベリー(苦汗労働の改善)、キュビエ、リンネ、W・S・クラーク、シュバイツァー(未開地医療)、マザー・テレサ、ヘレン・ケラー、バッハ、ヘンデル、ウィルバーフォース(近代ヨーロッパ奴隷解放)、リンカーン、グラッドストーン(大英帝国の偉大な政治家)、キング、ファーブル、ファラデー、メンデル、バルト、ニーメラー、マッカーサー・・・キリスト信仰に立って活動した世界の偉人たちが雲をなすほどにたくさんいます。
日本でも、人口のたった1%足らずが信じただけですが、その信じた人々の中から、高山右近、内藤如安、小西行長、黒田孝高(如水)、蒲生氏郷などの戦国大名・武将、曲直瀬道三、細川ガラシャ、支倉常長、後藤寿庵(胆沢川の水路開鑿)、高木仙右衛門(浦上四番崩れの良き証人)、岩永マキ(同・養育園)、村田若狭守(3番目の新教改宗者・漢訳聖書の翻訳)、新島襄、森有礼(学制時の文部大臣)、徳富蘆花(非戦主義・小説家)、中村敬宇・正直(西国立志篇)、津田真道(法律学者・貴族院議員)、津田梅子(女子教育)、片岡健吉(民権運動)、内村鑑三、新渡戸稲造、柏木義円(卓説の牧師)、倉橋惣造(幼児教育学)、島崎藤村、志賀直哉、武者小路実篤、山室軍平、石井十次(孤児救済)、原胤昭(教誨師活動)、好地由太郎(死刑囚から囚人伝道へ)、本間俊平(囚人伝道)、石井亮一(精神障害者福祉)、森巻耳(盲人福祉)、好本督(盲人福祉、点字本)、留岡幸助(非行児教育)、安藤太郎(禁酒運動)、ハンナ・リデル(救癩活動)、林文雄(同)、林竹治郎(画家)、島貫兵太夫(移住者福祉)、片山潜(セッツルメント事業)、高野房太郎(日本労働運動創始者)、安部磯雄(社会主義)、鈴木文治(同)、田中正造(渡良瀬川鉱毒事件)、島田三郎(毎日新聞社主)、矢部喜好(最初の兵役拒否者・牧師)、吉野作造(民本主義)、藤井武(預言者)、賀川豊彦(貧民救済、各種共済制度創始者、文筆家)、粟屋仙吉(ゴー・ストップ事件)、荻野吟子(最初の女医)、滝廉太郎、大中寅二(作曲家)、武島羽衣、野口英世、北条民雄(小説家)、山路愛山、大石誠之助、今井寿道(被差別部落伝道)、杉山元治郎(農民運動の父)、林歌子(廃娼運動)、羽仁もと子(婦人の友・自由学園)、波多野精一(哲学者)、八木重吉(詩人)、山村暮鳥、野辺地天馬、水野源三(詩人)、星野富弘(詩と絵)、三木露風、有吉佐和子(作家)、井上ひさし、波多野鶴吉(グンゼ創業者)、後藤安太郎(オリジン電気創業者)、五十嵐健治(白洋舎創業)、長谷川保(聖隷社)、河上丈太郎、河上肇、河上徹太郎、沖野岩三郎、大賀一郎(ハス博士)、坪田譲治(児童文学)、村岡花子(同)、遠藤周作(小説家)、木下順二(同)、永井隆(長崎の鐘)、長谷川町子、三浦綾子、岩村忍(ネパール医療)、中村哲(アフガン支援)、南原繁(東大学長)、矢内原忠雄(同)、森戸辰男(広大学長)、速水優(日銀総裁)、田中耕太郎(最高裁判所長官)、藤林益三(同)、などなど多士済済。明治以来の歴代九十数人の首相のうち原敬、片山哲、大平正芳など4人のクリスチャンが出ました。
今も、有名、無名のクリスチャンが政界・官界・経済界・学者・医者・教育者・芸術家・ジャーナリスト・アスリート・会社員・公務員などとして活動しています。たまに失敗もありましたが、総じて多くの良い活動、良い人材を送り出してきました。
こうした実を結んでいるキリスト信仰の道を、“愚か”だとか“非常識だ”とか“凝らない方がいい”というのは、視野に欠けた議論でないでしょうか。どうぞ、このような良い宗教(信仰)には関心を払い、真剣に検討してみてください。必ず、それだけの価値があります。
■ なにゆえキリストの道なのか: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)
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正木弥(まさき・や)
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)