宗教は大体がロクなものがない。だから、そんなものに関わらない方がいい。
そうです。宗教はそう言われても仕方のないものがほとんどです。“ロクなものがない”とおっしゃるので、そのロクでない宗教を6つ挙げてみましょう。
(1)お金を集めることが目的であるもの
巧妙な回り道はあっても、結局“お金”を目指すものが多いですね。ひどい言い方ですが、「金もうけをしようと思えば新興宗教を興せ」とも言われました。これではいけません。腐敗や堕落のもとです(活動資金など一切のお金を否定するものではありません)。
(2)大きな建造物(いわゆる堂塔伽藍)を建てることが目的であるもの
本当に必要なものならいざ知らず、往々にして人目を引くため、教祖の力や功績を誇示するため、あるいは教祖の個人的趣味のため、大きくて立派な建造物を建てるのが多いですね。“教え”よりも外観を飾るのは“ロクでなし”の証拠です。
(3)組織の拡大・強化を至上命題にし、それによって世俗的力を発揮しようとするもの
その組織を背景としてモノを言ったり、選挙で政治的主張をしたり、政治的勢力を張ろうとするなら、それは宗教団体として邪道ですね。
(4)教職者の生活を第一にするもの
教えを広めることより、教団の経営に熱心になり、あるいは教職者の生活の維持を中心に考える。それは、宗教の使命あるいは役割を放棄しています。江戸時代の仏教はそうなって、幕府の政策のお先棒をかつぎました。
(5)御利益宗教の路線を行くもの
受験合格、無病息災、開運などの御利益をウリにして、もっともらしい行事をし、人寄せを図るもの。それが成就することは、寺社の側でも参詣人の側でも、はじめから保証もしないし期待もしない。はじめから気休めだと分かっている。こうした路線は、宗教を低次元なものにし、根源的なものから目をそらす役目をしています。
(6)犯罪やだましを伴うもの
オウム真理教が典型であるが、その外にも統一協会のように霊感商法で詐欺まがいに売りつけ、もうけようとするもの、エホバの証人のようにマインド・コントロールして家庭破壊をするものなどは、まさにロクなものでないので関わらないほうがいいですね。
このようなものと、このコラムで示す“キリスト信仰の道”との違いをよく見てください。
■ なにゆえキリストの道なのか: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)
(11)(12)(13)
◇
正木弥(まさき・や)
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)