宗教について②
すべての宗教は結局、同じことを述べている。言い方が違うだけではないのか。
前回述べていることを、まずお読みください。特に、キリスト教〔聖書〕が、天地創造のこと、人が男と女に造られたこと、禁断の木の実を食べて楽園から追い出されたこと、大洪水のこと、言語が乱されたこと、ソドムとゴモラのこと、アブラハムの信仰、ヨセフとその兄弟たちのこと、出エジプトのこと、十戒など律法の与えられたこと、荒野での難儀と失敗のこと、ヨシュアや士師たちのこと、ダビデの働きのこと、多くの王たちと預言者たちのしたこと、言ったこと、バビロン捕囚のこと、多くの知恵の言葉、御子イエス・キリストの出生のこと、その行った不思議・しるし、その語った言葉、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」「7たびを70倍するまで赦(ゆる)してやりなさい」と教えたこと、その十字架の受難のこと、それゆえの信じる者の罪の赦し・贖い、からだの復活、弟子たちへの聖霊の降臨、世の終わりの再臨、最後の審判、天の御国、信じる者たちの永遠のいのち、新しい天・新しい地の出現・・・これらのことを述べ、約束しています。
このように壮大で、奇(くす)しく、峻厳(しゅんげん)と憐れみに満ちていることを教える宗教は、他にはありません。他の宗教とは、言い方だけでなく、土台、歴史性、罪と救いの根本など、全く違います。
後代になって、イスラム教のようにキリスト教やユダヤ教を踏み台にして肝心な点で独特の教理を積み上げたものもあります。また、「生長の家」のように、キリスト教の教理を一部取り入れ、独自のものを加えてモザイクにしているものもあります。その宗教の教祖が自分の判断で、いいとこ取りしたものです。取り入れた部分だけを見ると、よく似ているように見えるのかもしれません。しかし、全体がよく馴染んでいません。あくまでそれは剽窃(ひょうせつ)で、にせものです。元のものが正しいのです。旧・新約聖書による神信仰、すなわちキリスト教が独自で、他の追随を許さないものなのです。
■ なにゆえキリストの道なのか: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)
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正木弥(まさき・や)
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)