宗教は結局、僧職者が教理と組織で人を支配しようとするものではないのか。
日本の伝統的宗教などを見ていると、特にそのような印象を持たれても仕方がないのでしょうか。
キリスト教の場合も(ともすればそうなりがちですが)、本来はそうであってはならないと、いつも自戒しています。中世カトリック教会の弊害が極点に達したとき、マルチン・ルターが現れて、宗教改革となりましたが、その宗教改革の三原則のうち、第三番目が万人祭司の原則です。すなわち、キリストを信じる者は皆、神とキリストの前で祭司の立場にあり、他に別に職業者としての祭司を通さなくても救いにあずかれるというものです。真のキリスト教にあっては、聖職者と一般信徒という階層の区別はありません。従って、プロテスタントのキリスト教会において“牧師”とは本来、信徒を支配する者ではありません。
牧羊者が羊の群れを危険から守り、草と水のある所に導くように、信徒が神の言葉を聖書からうまく摂取できるようにする者です。信仰が成長するように信仰生活を導く者です。「信徒を支配するのでなく、群れの模範となりなさい」と聖書の中で勧められている通りです〔無論、一般の方々への伝道という大きな仕事もあります〕。
というわけで、(秩序を乱し、違った教えを持ち込もうとしない限り)キリスト教会は自由であるところです。
■ なにゆえキリストの道なのか: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)
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正木弥(まさき・や)
1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。
【正木弥著書】
『なにゆえキリストの道なのか 〜ぶしつけな240の質問に答える〜 増補版』
『仏教に魂を託せるか 〜その全体像から見た問題点〜 改訂版』
『ザグロスの高原を行く イザヤによるクル王の遺産』(イーグレープ)