東京・歌舞伎町の「トー横」や大阪・ミナミの「グリ下」に、孤独や生きづらさを抱えた若者たちが集まり、社会の関心を集めている。かつて薬物依存に陥り、自殺未遂や精神病院への入退院を繰り返していた瀬上良太さんは、そうしたニュースを見るたびに昔の自分を重ねていた。
「彼らがああいう場所に集まる気持ちは、分かります。僕も機能不全家族で育って、精神病院に何度も入院して、リストカットもして、薬物にも依存していましたが、その精神的な苦しみは見えないから、社会や周囲には理解されにくいのです」
そんな若者たちのための「居場所」として、瀬上さんは今、ミナミの歓楽街にノンアルコールの「クラブハウスチャーチ」を開こうとしている。
「死ぬ前に1年だけ」 沖縄の依存症回復施設へ
小学生低学年の頃に両親の離婚を経験し、その後、母が再婚した義父も含め、家族との関係が日に日に悪くなっていた瀬上さんは、反抗と現実逃避の青年期を過ごした。高校は半年で留年が決まり、自主退学。「自分探し」を言い訳に、バイトをしたり、ボクシングジムに通ったりの日々。専門学校に入学したこともあったが、いずれも長続きしなかった。そんな中、薬物と酒と女性に溺れていった。薬物は、精神病院の処方薬や市販薬の過剰摂取だけでなく、危険ドラッグにも手を染めた。
次第に精神を病み、本気で死を考えるところまで追い詰められていった。神戸で一人暮らしをしていた20代前半、薬漬けの日々の中、自宅マンションから飛び降りようとした瞬間、足元に落ちていた小さな紙に目がとまった。
「イエスは、君に彼と共に生きてほしいと願っている」
そう記されたトラクトだった。当時は無神論者で悪魔崇拝者を自認し、キリスト教を誰よりも嫌っていた。なぜこんなトラクトを持っていたのか、今も分からないという。「神様からのラブレターだと思っています」。その場で泣き崩れて祈ると、心がすっと軽くなった。
それでも、生活はすぐには変わらなかった。26歳の時、どん底の中で「神様、助けて」と叫んだ瀬上さんは、2年前にクリスチャンになっていた実父の勧めで、依存症からの回復を支援するキリスト教団体「ティーンチャレンジ・ジャパン」の沖縄の施設に入所することになる。「死ぬ前に1年だけ」という思いだった。
「No Future」から「Yes Future」へ
施設で瀬上さんを変えたのは、自分よりも過酷な過去を持つ卒業生の教師たちが、見違えるように生き生きとしている姿だった。毎朝の賛美と聖書の学び、マラソンと筋トレを中心とした規則正しい生活の中で、10年来手放せなかった睡眠薬を断ち切った。
ある祈りの最中、イエスが十字架を背負う情景が心に浮かんだ。「死刑宣告を受けていた僕の代わりに、罪のないイエスが十字架にかかってくれたんだ」。その愛を頭ではなく心で知ったとき、涙が止まらなくなった。やがて台風が間近に迫った海で洗礼を受け、初挑戦のフルマラソンも完走。それまでは何をやっても途中で投げ出してしまう人生だったが、生まれて初めて「やり遂げる喜び」を味わった。
在籍中に東日本大震災が発生し、東北でボランティアにも従事した。卒業後は生駒聖書学院に入学。3年間学んだ後、今度は生徒ではなくインターンとして、ティーンチャレンジ・ジャパンに戻り、1年間奉仕した。
「No Future(未来はない)」。それは、絶望の底にいた頃の瀬上さんが何千回となく繰り返し聴いたロックバンドの曲名だった。世界は偶然にできたのだから意味などなく、自分が生まれてきた意味も死ぬ意味もない――そんな虚無を地で行く日々は、まさにこの曲の通りだった。だが、ティーンチャレンジ・ジャパンでの生活は、その価値観を180度変え、いつしか「Yes Future(未来はある)」に変わっていた。
2人の親友の死を無駄にしない
現在、東大阪のアドラムキリスト教会に通う瀬上さんの歩みには、2人の親友の死が深く刻まれている。
1人は、ティーンチャレンジ・ジャパンの同期生のAさん。瀬上さんより数カ月早く入所していたが、同期生として歩みを共にした。誰よりも信仰熱心で、学力・体力ともに抜きんでており、瀬上さんがいつも背中を見ていた存在でもあった。しかし、東日本大震災の復興支援に加わっていた最中、フェリー乗り場での事故で突然この世を去ってしまった。
もう1人は、瀬上さんがティーンチャレンジ・ジャパンに入所する前から付き合いがあったBさん。クリスチャンホームで育ちながらも教会を離れ、一緒に悪事を働いていた「悪友」だった。Bさんもやがてティーンチャレンジ・ジャパンに入所し、信仰を回復するが、数年前に亡くなった知らせを受けた。依存症が疑われる死だったという。
「2人の分まで福音を伝えたいという思いがすごくあります。だから、2人の死は決して無駄になっていないんです」
優しい愛のネオンがともり、十字架の光が差し込む場
瀬上さんの人生は、ティーンチャレンジ・ジャパンでのインターンを終えた後も、決して順風満帆ではなかった。インターン後、初めて正式に就職したが、2カ月で退職。就職の喜びが大きかっただけに、大きな挫折だった。また、Bさんの死のショックで、一時期再び薬物に手を出してしまい、教会から離れていた時期もあった。現在も、躁うつ病との闘いは残っている。それでも、「必ず実現させる」という思いで、今はクラブハウスチャーチの開設のために奔走している。
クラブハウスチャーチの構想が浮かんだのは、昨年の暮れだった。これまでSNSを通して同じ境遇の若者と数多くつながってきたが、教会の扉をくぐる人はほとんどいなかった。「教会は敷居が高い。でも、昔クラブが好きだった僕は思ったんです。クラブハウスなら、楽しいし行きやすいと」
思い描くのは、テクノやラップ、ロックといった音楽が流れ、歌って踊ってストレスを発散し、ソファで他愛もない雑談を交わし、互いの悩みに耳を傾ける――優しい愛のネオンがともり、十字架の光が差し込むアットホームな空間だ。そして、音楽や雑談の合間に、瀬上さんが毎日30分ほど「メッセージ」を語る。堅苦しい説教ではなく、思わず笑える語り口で、生きる意味や、一人一人の価値を伝えたいと考えている。
「クラブハウスチャーチは、ただのクラブハウスでもチャーチ(教会)でもない、今まで日本に例の無い空間です」
予定地は、グリ下にほど近いミナミの宗右衛門町。開設目標は2027年12月25日のクリスマスで、内装や運営にかかる総額900万円をクラウドファンディングなどで募っている。将来的にはNPO法人化も考えているという。
今年5月からは現地での声かけも始めた。初日に配ったトラクトは約50枚。目の前で焼かれてしまったこともあったが、それも「想定内」だとし、「そういう子ほど、すごくあつい信仰を持つと思います」と話す。既に一人の若者を教会につなぐこともできた。
瀬上さんは以前、「君は愛されるために生まれた」という賛美歌が大嫌いだったという。ひねくれた心が、そのシンプルなメッセージを受け付けなかった。しかしある時、教会で子どもたちがその賛美歌を口ずさむのを聞いた瞬間、涙があふれ出た。その子どもたちと親たちのやりとりが目に浮かび、その一つ一つに「愛を見る」思いがしたのだという。目に見えない愛が、瀬上さんの中で具現化された瞬間だった。
「君は愛されるために生まれた」
それが、瀬上さんがクラブハウスチャーチで何よりも伝えたいメッセージだ。

















