ギャンブルや薬物、アルコールなどのさまざまな依存症について理解を深めてもらおうと、埼玉県の宮代町で5月20日、セミナーが開かれ、元ヤクザでクリスチャンの遊佐学さんが薬物依存から立ち直った体験談を語った。遊佐さんは「元ヤクザが変わるということは、人にはできないこと。でも、自分だけが特別じゃない」と振り返り、「神に出会うときに人は必ず変えられる」と話した。
薬物に初めて手を出したのは、12歳の時だった。「シンナーから始めて、これくらいならいいだろうと、酒を飲んだり、大麻を吸ったりして。18歳の時に(暴走族のけんかで)少年院に行きました」
少年院から出るときには「もうまっとうに生きよう」と決心し、仕事にも就いたが、長くは続かなかった。「半年ぐらいすると、真面目にやっているのがつまらなくなって。自分から暴走族や悪いことに手を染めていきました」
そんな遊佐さんも、覚醒剤だけには絶対に手を出さないと決めていたという。「16歳の時に身近な人間が覚醒剤で捕まったのを見ているし、昔テレビで『覚せい剤やめますか。それとも人間やめますか』というCMを見て、覚醒剤だけは本当にやばいものだと子ども心に思っていました」
だがその決心もむなしく、先輩から「一回だけやってみろ。一回だけやったら、もう勧めないから」と言われ、「じゃあ一回だけ」と応じてしまった。「やる前は、もう絶対にやらないと思っていたにもかかわらず、1時間後には、自分からお願いしていました」
最初は週1、2回だったのが、気が付けば毎日やるようになり、次第に覚醒剤中心の生活になっていった。「やめたいと思っても、やめられない。それがすごく罪悪感でした。じゃあ、やめたいって思わなければいいやと思って。それからずっと、薬を使い続けました」
薬が原因で、結婚を考えていた女性とも別れることになった。ちょうどその時、東京の歌舞伎町でヤクザをしていた友達から声をかけられ、25歳でヤクザになった。「彼女と別れたこともありましたが、ヤクザになれば覚醒剤をやらない生き方ができるんじゃないかって。それが一番の理由でした」
地元の栃木から離れ、歌舞伎町へ。初めのうちは忙しく、薬を使わずに生活できていたが、それも長くは続かなかった。「やっぱり半年ぐらいたったときに、薬に手を出してしまって。地元にいるときよりも簡単に安く手に入るし、365日のうち360日は覚醒剤を打ち続ける毎日でした。もう本当に、肉体的にも精神的にもおかしくなっていました」
特にひどかったのが、幻聴だったという。「その声というのが、自分のことを殺すような、さげすむような声しか聞こえなくて。半年間ぐらい、自分の頭の中で常に3、4人の声が聞こえていました」
所属していたヤクザの組からも、友人からも見放された。頼るものはもう、薬しかなかった。「本当に、何のために生きているのか分からなかったし、生きる希望もなかった。ただただ薬をやる毎日でした」
そんな時、遊佐さんに不思議な出来事が起こった。何と同じ組で、ヤクザをしながら聖書を読んでいた仲間がおり、遊佐さんを教会に誘ったのだ。
「教会に行くことよりも、声をかけてくれたことがすごくうれしかったです。教会に着いて、何をするかも分からないし、ただ目の前にある十字架を見ていたら、自然と涙がぶわっと出てきたんです。自分でもびっくりしました。気が付いたら、自分一人だけになっていました」
だが、幻聴はひどくなる一方だった。「さすがにやばい」と感じ、今度こそ薬をやめようと決意した。「1週間薬を抜けば、幻聴もなくなるだろうと思ったのですが、幻聴だけがなくならない。だったらやめなくても一緒だと思って、1週間ぶりに覚醒剤をやったのです」
その時、遊佐さんの体を、これまでにない異常な症状が襲った。「覚醒剤はアルコールを飲んだときみたく記憶がなくなることはないんです。でもその時だけ、覚醒剤を打った後の記憶がなくなりました。どうやら自分が住んでいたマンションの5階から飛び降りたみたいで。気が付いたら、集中治療室のベッドの上でした」
「その時に思ったのは、『生きていてよかった』って。いつ死んでもいいと思っていたし、生きている意味がなかったから、死に対しては何とも思っていないつもりでしたが、いざ病院で目を開けたとき、本当に生きていてよかったと心から思いました」
足を粉砕骨折していたため、退院には1年かかった。その間、妹が毎週差し入れを持って来てくれた。家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しかしそれでも、薬をやめることはできなかった。
「飛び降りてから3年後に、警察が逮捕状を持ってきたのですが、3年もたってから来た警察への怒りしかなくて。刑務所に1年半いたのですが、更生しようとか、薬をやめようというよりも、次はいかに捕まらずにうまくやるかしか考えていなかったです」
入所中、父親が脳梗塞で倒れた。出所したとき、父親は車椅子で遊佐さんを迎え、言葉を話すことはできなくなっていたが、遊佐さんの顔を見て、泣きじゃくって喜んでくれた。「その時は、おやじが生きていてよかったし、こうして顔が見られてよかったなって。でも、それだけしか思っていなかったです」。その後も薬をやめることはできず、出所してわずか1年半後、再び刑務所に入ることになった。
「また捕まったとき、ようやく自分が何も変わっていないことに気付きました。薬でおかしくなって飛び降りて、命が助かって生かされたにもかかわらず、何も変わっていない自分に絶望しました。飛び降りたときに、死んだほうがよかったんじゃないかって、本当に思いました」
「薬のやめ方も知らない。右足に後遺症があるし、まっとうな仕事はできない。悪いことをして生きるしかないと、ずっと勝手に思っていました。どうすればいいか分からずに、留置所の中で眠れずに過ごしていました」
その時、留置所の本棚にあった一冊の本を手に取った。『悪タレ極道、いのちやりなおし』――元ヤクザによる伝道団体「ミッション・バラバ」設立メンバーの一人である中島哲夫牧師の本だった。「自分にすごくぴったりなタイトルだと思って手に取りました。本を読んで、すごくびっくりしました。自分と同じような体験をしている人がいるんだって」
「自分もこの神を信じれば、人生をやり直すことができるんじゃないかって本気で思いました。少年院を出たときも、覚醒剤を何百回、何千回打ってやめたいと思ったときも、自分の力ではどうすることもできなかったのを誰よりも分かっていました。だから、この神が俺を変えてくれなかったらもうだめだって。わらをもすがる思いで、この神に賭けてみようと思いました」
それからは、刑務所の中で毎日1時間以上聖書と向き合った。理解できない部分も多かったが、2つの聖書箇所が遊佐さんの心に残った。一つは、ルカの福音書18章27節にあるイエスの言葉「人にはできないことが、神にはできるのです」。「自分ではどうすることもできなくて、もうどん底でした。こんな自分を変えてくれるのは、神しかいないって。だから、このイエス・キリストが変えてくれると信じました」
もう一つの箇所は、マタイの福音書18章8節にあるイエスの言葉「片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです」だった。「飛び降りたとき、自分が死なずに生かされたのは、このイエス・キリストに愛されているからだと、そこで知りました。このイエス・キリストの愛を知ったときに、そこから自分を大切にすることができたし、親の愛も知ることができました」
出所後、すぐに教会で洗礼を受けた。自分と同じように苦しんでいる仲間に寄り添い、イエス・キリストに導くことが、自分の生かされている意味だと神に示された。現在は一般社団法人を立ち上げて、帰る場所のない出所者の居場所づくりに取り組んでいる。また、ミッション・バラバのメンバーに加わり、月に一度、東京の新大久保で路傍伝道を行っている。
「人は必ず何かに依存しています。(依存症の対象よりも)もっといいものに依存することが依存症から回復する道で、自分の場合はそれが聖書であり、イエス・キリストでした。このイエス・キリストに導くことが、回復への一番の近道だと思っているし、そこで解放されないものはないと思っています」
遊佐さんは、「依存症は一生闘うものであって、もう大丈夫だと思ったときに、たとえ何十年やめていたとしても、一回やってしまったらあっという間に元に戻って、以前よりもさらにひどい状態になってしまう」と指摘。「刑務所を出てから10年間、いろいろな誘惑や葛藤がありましたが、その一つ一つを乗り越えられたのも神様の恵みと憐(あわ)れみしかない。また、多くの人の祈りがあったからこそ今があることを本当に感謝しています」と話した。
セミナーを主催した「ミルトスの会」代表の金子辰己雄牧師(サンライズ杉戸教会)は、「依存症は確かに治療の難しい病気かもしれないが、適切な治療を受け、適切に対応すれば、必ず回復して治っていく病気だということをぜひ知ってほしい」と語った。また、「依存症は孤立の病気。お互いに助け合える仲間がいる居場所がとても大事」と話した。
ミルトスの会では、依存症からの回復に向かうための集会を月1回のペースで行っており、6月10日(土)からは埼玉県杉戸町のサンライズ杉戸教会を会場に、新しく集会を始める。午後2時から、会費500円。問い合わせは、金子牧師(電話:080・5021・1792、メール:[email protected])まで。