人の胸の内
一番目は「人の胸の内」です。まず母親の悲願とも言える強い願い事を考えてみてください。母親は「何とかして良いポジションを子どもたちに確約させたい」という気持ちでイエスのもとに来たに違いありません。これは日本でも、アメリカでも、ヨーロッパのどこにいても人の考えることはよく似ています。これが問題ですから、最近はコネや縁故でなかなか就職も決まりにくい時代になりました。しかし世界では、まだそのようなコネ社会が生きているということも耳に入ります。そういう社会において、何かビジネスを進めようと願っても、チャンネル、コネ、接点がないと何も進みません。そう考えると、母親の気持ちは分からないでもないです。なぜなら、イエスはガリラヤ地方で非常に大きな奇跡を行われたからです。例えば病人を癒やし、あるいは食物の無い人々に食物を与えました。イエスは不思議なわざと奇跡を行いました。人々はガリラヤで「この人こそ王だ」と考えました。彼こそ私たちの国を復興してくれる救世主、メシアであると期待していました。ですから、「この方の近くに行き、この方におすがりすれば絶対に大丈夫だ」という思惑が母親にはあったと思います。
もう一方で、他の弟子たちの胸の中はどうであったでしょうか。彼らは立腹しました。「サロメの母親は、イエスのもとに行きそのような願いをするけれども、私たちはどうなるのか」。皆さんも、この気持ちは分かると思います。私の友人にヤコブ・エソウというロシア系ドイツ人がいますが、彼は家に10人の子どもがいます。ロシア帝国時代以降の共産主義時代まで、特にドイツ系のメノナイト派の人々は子宝に恵まれ大家族でした。一人の母親から10人、12人、多い時には18人も生まれました。ですから、その子たちが結婚し子どもが生まれたら、すぐ60人、70人になり家には全員が入れないほどです。ある時は、庭にテントを張りバースデイパーティーが行われたことがありました。私もそのような大パーテイーに参加したことがありました。
ある時、ヤコブ・エソウ氏と次のような対話がありました。「10人も子どもがいたら、いろいろな違いがあるでしょうね」「そう、あります」「でも、お父さん、お母さんから見て、10人はどうですか」と聞くと、「10人みんな違う。能力、興味や関心、実力も全部違うけれども、親にとって一人一人はみんなかわいい子だ」。10人いても、18人いても、親にとっては掛け替えのない子どもたちなのです。
イエスが12人弟子を選び、ガリラヤ地方を中心に宣教活動をされた時、イエスにとって12人はかわいい弟子たちでした。彼らはイエスを師、先生と仰ぎました。彼らは一つのチームであり、ハーモニーが取れる中で活動を続けていくはずだったのです。ところが、この時になって意見が分かれました。じつは、聖書マタイの福音書第18章を開くと、イエスの弟子たちが、イエスのいない時に、「この12人の中で誰が一番偉いか」と言い出した記録があります。裏返すと、一番偉い人が一番出世し、良いポジションに就けるというわけです。考えてみると競争心とまでいかなくても、誰でも願望はあります。それは自分が高く評価され、自分が高く見積もられ好条件の地位に就きたいという願望です。
イエスが「あなたがたは、今何を論じていたのですか」と尋ねた時、彼らは恥ずかしくて何も言えませんでした。誰が一番偉いかを論じていた、と言えないぐらいの状況だったのです。裏返すと、弟子たちはこの時、母サロメと二人の弟子たちに対して大変立腹しました。かつては自分たちも誰が一番偉いかと言い大論争していたことがありました。ですから、レベル的にはそれほど差がないということです。弟子たちは大変腹を立てているのですが、そこにはハーモニーも一致もありませんでした。じつは、ここに弟子たちの内側の問題がありました。彼らは、なぜこのような状況になったのでしょうか。これは人間の本性を表しています。
私が最近つくづく思うことは、人間はそれほど美しいものではないということです。人には美しい面もありますが、よく人を深く掘り下げていくならば人は誰にも言えないことや、他人に見せられない面があります。じつは、その内面にあるものがカギです。内側のところで人を憎むからです。内側のところで人を許せないのです。内側のところで人を包み上げることができないのです。そのような時、私たちは胸の内の醜い姿を見るのです。この醜い姿が外に出ると大論争になります。ですから、大人はそれを外に出さず隠そうとする心理が働き、うまく繕うとしますが根本的な解決には至りません。
人の胸の内にある感受性が問われています。私の胸の内がどのような性質で、どんな本性で占められているかは、ビジネスにせよ、教育にせよ、あるいは家庭で子どもたちを養育するにしても、どんな立場でも重要です。特に指導的立場にある経営者の方々、そして部下を持っている方々は、内側こそ本当に重要です。聖書は、人の内側にあるものが外側に出ると教えています。私たちは時として、「心にも思ってないことを言ってしまった」と言います。しかし、心中にあるからこそ、口から出るわけです。心にないことが外に出るはずはありません。私たちの内側に人を憎む思い、許せない思い、批判的な思いなどいろいろなものがあるからこそ、それが私たちの外に出て人間関係を難しくしてしまいます。あなたはそのような思いや経験をしたことはないでしょうか。しかし、ここで注目していたいことは、キリストは彼らを一言もお責めにならなかったことでした。仮に私たちの部下に不正があった時、どんな応答をするでしょうか。多くの場合、私たちはその不正を指摘し、「直せ! 何をしているか!」という調子で鋭く指摘するものです。
■ キリストの人材教育: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)
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黒田禎一郎(くろだ・ていいちろう)
1946年、台湾・台北市生まれ。70年、ドイツ・デュッセルドルフ医科大学病院留学。トリア大学精神衛生学部、ヴィーダネスト聖書学校卒業。75年、旧ソ連・東欧宣教開始。76年、ドイツ・デュッセルドルフ日本語キリスト教会初代牧師就任。81年、帰国「ミッション・宣教の声」設立。84年、グレイス外語学院設立。87年、堺インターナショナル・バイブル・チャーチ設立、ミニスター。90年、JEEQ(株式会社日欧交流研究所)所長。聖書を基盤に、欧州情報・世界 情報、企業講演等。98年、インターナショナル・バイブル・チャーチ(大阪北浜)設立、活動開始。01年、韓日ワールドカップ宣教GOOL2002親善大使として活躍。著書に『世界の日時計』(Ⅰ~Ⅲ)、『無から有を生み出す神』『新しい人生』『愛される弟子』『神のマスタープランの行くへ』『ヒズブレッシング』、韓国語版『聖書と21世紀の秘密』、中国語版『神の聖書的ご計画』他訳書あり。