ところが、1円の負債者を赦さない
そして3番目の登場人物はしもべの友だちである。100日分の借りのある人、100万円の借りのある仲間だ。
「ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ』と言った。彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから』と言って頼んだ。しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がお前をあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した」
この最後の部分も、理解に苦しむところ、あり得ない内容ではないか。6000億円を帳消しにしてもらったその男が、その帰り道、何をしたか?
「ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ』と言った」
「出会った」。英語では「found」、ギリシャ語では「ευρεν」で、たまたま偶然にではなく、捜し訪ねて見つけ出したという意味が強い。1万タラント対100デナリ。60万円対1円。こんな男がいるはずがない。ありえない話、夢にも出てこないことである。
ここに3つ目のポイントがある。そういう人がいるのである。無限大を赦してもらいながら、姉妹兄弟のわずかな間違いや、小さな失敗や、ちょっとした言葉や、未熟さを、決して赦さない人がいる。夫婦、親子、同僚、仲間、姉妹兄弟。あなたの命をねらう敵ではない。家族であり、友人である。にもかかわらず、私たちは赦そうとしない。かえって、不機嫌、無言、無視、憎み、恨み、意地の悪い仕返しを考えるのである。あり得ない。60万円を帳消しにしてもらったのに、1円を赦さない。赦さないどころか、捜し出して悪魔のように愛のない言動で痛めつけるのである。
イエス様のお心。「あなた自身こそは(強調)仲間をあわれまねばならなかったのではないか(behoved to to have pitied)」。不定過去不定詞で即座にきっぱりと。この「ねばならない」という用語は、神様の救いのご計画においてひんぱんに使われる言葉である。絶対条件を表す。「このわたし自身が(強調)あなたをあわれんだように」、きれいさっぱりと、あなたの仲間の借金をあわれむことは神様の絶対のお心だ。
私は30歳のとき、家族を連れてアメリカの所属教団の神学校に留学した。娘が小学校1年生、息子が幼稚園だった。学費と生活費免除のありがたい留学だった。ところが9月の入学式を待っていたとき、突然、教団事務所から呼び出しがあった。
「あなたの入学推薦が取り消されたので、待機して下さい」
長い話を短くすれば、日本の教団の手違いで起こった事実誤認が原因だった。私は深く失望した。火のように激しい怒りが胸を突き上げた。「オレは何の罪も犯してはいない。手続は完了。最後の書類も郵送した。何と言う稚拙で、極端な決定か。赦せない。赦さない。絶対に赦さない!!!」
夏休みのため、教団事務所の郵便物を誰もチェックしないで、この決定を下したのだ。私の結論はこうだった。「もうこの教団とはつき合わない。私は教団に何一つの借りもない。今後は、独立伝道者の道を生きていこう」。すぐ、格安の深夜便で一人で、イリノイ州からパサデナのフラ-神学校に向かった。
LA空港からバスでパサデナに着いた。パサデナの電話帳で通訳者として有名だった「土屋一臣」を捜した。面識はなかったが、すぐ先生が迎えに来てくれた。長い話を短くすれば、その日のうちにフラ-神学校入学が決まった。それからシカゴに戻った私は、教団事務所の世界宣教部長に「別れの挨拶」に出かけた。「勝った、勝った、勝った。オレは勝った。ざまあみろ。オレはフラ-神学校に入学決定だ。もう二度と、こんな連中とはつき合わない!」。凱旋将軍のように出かけた。教団事務所の前は、広い公園だった。その公園を歩いていたとき、突然、イエス様が私に語りかけられた。
「Unless you forgive them, I could not use you wherever you may go, and whatever you may do.(彼らを赦さなければ、あなたがどこで何をしても、私は祝福できない)」
私は、公園の芝生にひざまずいて祈った。「神様。彼らを赦します。日本に帰ったら、彼らといっしょに働きます」。そのとき、神様は私に霊的な勝利を与えて下さった。その日から今日まで、43年間、神様は私に、豊かな祝福を与え続けて下さった。
生来、私は敵を愛する人間ではない。私はたくさん赦されていながら、姉妹兄弟を赦すことができる人間ではない。ただ哀れみによって、主は私を憎しみや恨みから守り、赦しと愛を与えて下さった。ただただ恵みと信仰によって、今日まで伝道者の道を走り続けることができた。
クリスチャンにとっても、他者を赦すことは、最も重い課題である。
日々に祈る「主の祈り」には、「私たちが、私たちに負債のある人を赦しましたから、私たちの負債をもお赦し下さい」と教えられている。恵みと信仰によらなければこの祈りは祈れない。そして、主の祈りに引き続いて、イエス様は念を入れて、こう言われた。
「もしあなたがたが彼らの過ちを赦すなら、天におられるあなたがたの父も、あなたがたを赦して下さるであろう。もしあなたがたが彼らの過ちを赦さないなら、天におられるあなたがたの父も、あなたがたを赦してくださらないであろう」
この言葉は、今日のたとえ話の締めくくりと同じ内容である。レベルを上げた警告である。聖霊の助けをいただきつつ、成長と聖化における最大のテ-マである「赦し」に取り組んで生きて行こう。
黙祷
愛する姉妹兄弟たち。
あなたの [$ 60 billion] の罪の借金は、十字架によって帳消しされた。最後の審判は、あなたにはもうない。
「今日、わたしといっしょに、あなたはパラダイスにいなさい」
主イエス様の復活によって、永遠のいのちは、すでに、私たちの中に与えられている。私たちは、神様の家族の養子/養女である。
主イエス様は全部の罪を赦し、人生に回復を与えて下さった。生まれてから今日までの私たちの罪の項目は何百ペ-ジであろうか。そのすべてのページにイエス様の十字架の血による赤いX印が入っている。すべての項目は赦された。もし「この罪だけは簡単ではありません。赦しの確信がありません」というものがあるなら、今、十字架を見上げて、その罪のためにこそイエス様が身代わりの審判を受けて、それを処理して下さったことを信じ受け取って下さい。イエス様に赦せない罪はない。今、悔い改めて、イエス様の救いをいただこう。
「子よ。人よ。安心しなさい。あなたの罪は赦されている」「女よ。あなたの罪は赦されている」
ところで、あなたは、1円を貸している相手を、赦しているか。捜し出し、首を絞め、刑務所に投げこむようなことをしていないか。
今、罪を悔い改め、赦しの決断をイエス様に伝えよう。私たちには、1円の借金を返していない相手がいないか?
「ごめんなさい。私が悪かった。赦して下さい」
私たちの方から謝罪しようではないか。今、一人一人、主イエス様の前で、罪を悔い改め、赦しと回復をいただこう。
■ 「赦されても、赦さない人がいます」: (1)(2)(3)
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