1万タラント(無限)の帳消し
しもべは、主人の前にひれ伏し、嘆願した。
「どうかご猶予ください。そうすれば全部お支払いいたします」
払えるはずがない。この男は自分の借金の額が全然わかっていないのである。
「ひれ伏した」「哀願した」。ギリシャ語テキストでは、動詞の時制は両方とも[未完了形]である。その意味は過去進行形で、繰り返し繰り返し、必死に嘆願を続けていたという意味合い。哀願したという動詞は「礼拝した」が直訳。拝むように懇願し続けた。これは罪の悔い改めのかたちである。
そのとき、「主人は、かわいそうに思った、彼を赦した、借金を免除した」。
3つの動詞の時制は[不定過去形]で、その瞬間に内臓をかき回されるような哀れみと同情に突き動かされた事実、そして、きっぱりと即座に釈放した事実、迷わず、ためらわず、負債を帳消しにした事実を伝えている。
必死で赦しを嘆願し続ける男に対して、王様(主人)はあわれみの激情を覚え、即座に釈放した。借金を免除した。ためらわず、迷わず、結論を出した。
2つ目に、これがあり得ないポイントである。[6000億円]の帳消しである。負債者のトップバッターにこんな寛大なことでは、後はどうなるのか?
これは夢にも出てこない出来事である。どうですか、みなさん。王様の、この人知を越えた、無限の赦し。ここに、イエス様の十字架の贖罪を見ないわけには行かない。罪を悔い改めて、赦しを嘆願する者に対して、即座で完璧な赦しを宣言する十字架の救い。すべての罪状を帳消しにする無罪宣告。
「父よ、彼らを赦し給え。そのなすところを知らざればなり」
「主人は、かわいそうに思った、彼を釈放した、借金を帳消しにした」
この背後に十字架がある。十字架の上で、神様の正義を貫く審判が、世界の罪を取り除く子羊の上に下された。私たちの無限大の罪の借金が帳消しにされるためには、身代わりのイエス・キリストが審判を受けなければならなかった。その審判なしには、罪の赦しは絶対にない。ここに、十字架の罪の赦し、贖罪がある。
地上の全民族に罪の赦しを与える十字架と復活の贖罪。贖罪の動機と動力は神様の「罪人に対する哀れみ、悔い改める者に対する哀れみ」、贖罪の目的/完成は「永遠の滅亡からの無罪放免/釈放」、贖罪の結果は「罪の債務証書の塗り消し、帳消し」である。
「すべての者は罪を犯したので、神の栄光を失った。ただ神の恵みにより、キリスト・イエスの贖罪のゆえに、無代価で(ただで)義と認められる」(ローマ3章23、24節)
「さあ来たれ。論じ合おう」「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい紅のように赤くても羊の毛のようになる」(イザヤ1章18節)
主イエスは言われた。「子よ。安心せよ。あなたの罪は赦された」「女よ。わたしもあなたを罪に定めない」「女よ。あなたの罪は赦されている」
天国のこちら側で、人間に与えられる最大の祝福は、罪の赦しである。
ダビデは姦淫と殺人と盗みの3重の罪を犯し、その後、地獄の苦しみを味わった。そのダビデが、神様から派遣された預言者ナタンの取り扱いを受けて、罪を悔い改め、罪の赦しを確信したとき、叫んだ。
「ああ、何と言うさいわいか。そのそむきを赦され、その罪を贖われた者は。ああ、さいわいなるかな。主がその犯罪を無罪にして下さる人は」(詩篇32篇1、2節)
イエス様の十字架による罪の赦しを信じて、今日、自分の罪を悔い改めよう。イエス様の前にひれ伏し、自分の罪を言い表そう。6000億円の罪を。相手に対しても、誠実に謝罪しよう。罪の悔い改めは、神様と人の両者に対して。
「もし、私たちが自分の罪を告白するなら、神様は真実で正しいお方であるから、その罪を赦し、すべての罪から私たちをきよめて下さる/回復を下さる」(1ヨハネ1章9節)
ぼくが小学生の時代には、[通い帳]というノ-トブックがあった。近所の八百屋さん(コンビニ)で買い物をすると、日付と品物と値段を店のおばさんが書いてくれるのである。月末に店のおじさんがソロバンで集計してくれる。そして、まとめてお金を払うと赤いペンで、ノートのページいっぱいに大きなⅩ印を書いてくれる。いわゆる、帳消しである。ところが、ぼくの家では父親が戦争で死んだため月給がなかった。それで、ときには2、3カ月くらい払えないことがあった。5ペ-ジも、10ペ-ジも借金のページが増えていく。子ども心に、ぼくは心配で心配で、お使いに行かされるのがとてもつらかった。ある日そのノ-トを見たら、どのペ-ジもどのページも、真っ赤なインクの大きなⅩ印がついていた。「ああ、よかった。お母ちゃんが払うた」。ぼくは胸をなで下ろし、いっぺんに元気が出たのを覚えている。同じことを何回も経験した。
イエス様は、あなたの6000億円の借金を、支払って下さった。イエス様は、罪のないいのちの血を代価として支払って、あなたを贖(あがな)って下さった。あなたの罪のノートの全部のページに、十字架の血による、大きなⅩ印をつけて下さった。生まれてから今日まで、あなたの罪のページが何十ページ、何百ページであっても、その全部のページに「支払済」のⅩ印が入った。これだけは簡単には赦してもらえないと思う罪の記録があっても、安心して下さい。あなたの罪はすべて帳消しになった。イエス様が代わりにその命でその債務を支払って下さった。すべてのページ、すべての項目に、イエス様が十字架で流された赤い血の十字の印が入っている。あなたの罪はすべて赦され、帳消しになった。これが贖罪である。
ところで、無効や返済のしるしである「Ⅹ印」は、聖書の言葉、「カリゾマイ」=「赦す、無効にする」の頭文字「Ⅹ」から来ているのである。
このたとえ話は私たちに伝えている。あなたの6000億円の罪は赦された、あなたはもはや最後の審判で裁かれない、あなたが人生の最後の日、死を通過するその日に、あなたは天国で意識を取り戻す。「あなたによく言っておく、今日、わたしといっしょに、あなたはパラダイスにいる」と約束された主のお言葉は実現する。
■ 「赦されても、赦さない人がいます」: (1)(2)(3)
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