ここからは、建立者による一族の召天者を覚えるための墓誌銘です。建立者はメシア信仰者で以前の罪を悔い改めて神に感謝を捧げています。召天者を覚える記念会を開催した様子が描かれていますが、死者崇敬は書かれていません。
39に出る安、41に出る米、康という人物たちは、商業活動家のソグド人と言われており、その者たちが景教徒の指導者となっていました。本碑が発見された洛陽市洛龍区李樓郷の斉村東南の地は、古代にソグド人の集落があった地と言われ、干ばつに備えて井戸を掘るためのボーリング調査中に、地下2メートル余の地点でこの八面体の石経幢が発掘されました。
(訳者・宮川和彦/ホームチャペル・キリストの花嫁牧師)
(第二部)
22. 大秦景教宣元至夲経幢記
23. 見よ。最も聖なるお方が見えるものになられた。その善意は、限りなく地の果てまでおよんだ。私の永遠かつ真の主である創造主アラーハ(阿羅訶/シリア語エロヒームの当て字)・・・(石が破損していて文字中断)
24. 海、そして全被造物を養う。太陽と月はまぶしく輝く。五つの惑星が動く。すなわち、・・・(文字中断)
25. 散らされた。最後に滅びる者たちは御霊を知り、誘惑に抵抗する。彼らだけが残されるが、残念なことではない。彼らはすべて先に進んでいく・・・(文字中断)
26. 海、深く深遠なるもの。もし、「道(Tao)」が何の名称も持たなければ、私はそれを宣言しないし、この世はそれを受けることもできない。善・・・(文字中断)
(第六面)
27. 始めなき世界と最後はアラーハ、私の創造主の・・・(文字中断)
28. 神のことばを朗唱し続けることが可能な者たちは、神の祝福をすべて受けるだろう。その上、彼らはこの碑文を石柱に書いた・・・(文字中断)
29. 私の家族に対して、直接の相続人としての恩義のゆえに、私は故人に対して子としてのふさわしい敬虔と誠実を示さなかったことを残念に思う。私は大講堂にて教えられたことに不従順であったことを突如として感じた。大講堂・・・(文字中断)
30. 深い感謝、謙遜な思い、そして元気な心で私たちは石の上に経典を刻印し、この霊的柱を建立した。用いよ・・・(文字中断)
31. 私の亡くなった母を慰める。ブハラ国出身のブハラ家の栄誉ある母の聖なる道よ、そして、亡き主人のおじと・・・(文字中断)
32. 光輝く太陽が暗き拝謁の間を高く長く照らし続けるように。彼らの真の名前は混同されるべきではない。すなわち、それは景教の景の本性に属している。おー、・・・(文字中断)
(第七面)
33. 死者たちの魂が臨在されるように。他の親族たちも等しく次のことを願う。邪魔や患難がなく、彼らの生涯は松林や青竹のようになるように。子どもたち、老いも若きも・・・(文字中断)
34. 世代の連続によれば、彼らは墓地を購入し、この墓石を建立した。管轄行政区、すなわちローラン国ガンデ村、柏仁(Bairen)・・・(文字中断)
35. 初めに、すなわち、元和九年十二月八日(紀元815年1月25日、日曜日)に彼らは債務保証人をクイ(Cui)の貿易農場で買収した・・・(文字中断)
36. 親族たち。それは記念式の時であり、その時に葡萄酒が大地に注がれ、天と地は同じ意志を持った。石が南山から購入された。その石は研がれ、表面がなめらかになるまで磨かれた。それから経典がその上に刻まれた・・・(文字中断)
37. 墓地において。私は自分の貧しい文学的素養を恥じながら筆を取り、その記録を書いた。願わくは、未来の高貴な人々が私の貧しい記述をゆるしてくれるように。当時・・・(文字中断)
38. 皇帝は左護衛軍代理、西域管轄司令官、東都(洛陽)宮廷北衛禁軍の押衛に命令した。そして・・ルズホー(Ruzhou)のリアングチュアン(Liangchuan)県から・・・(文字中断)
(第八面)
39. 中央平原(中国)と外国両方からの親族たちが記念のために以下の名前を記した。弟であり景教の修道士である清素、上の従兄である小誠、おじである安少連・・・(文字中断)
40. 左護衛軍の大将軍代理である寧遠将軍押衛と同様に長安の最高左龍軍の将軍付添人であるおじを受け入れ、追加の官僚も採用した・・・(文字中断)
41. 大秦寺修道院長である和玄その俗名は米、弟子訓練者である大徳なる玄慶その俗名米、第九階位の大徳なる志通その俗名康・・・(文字中断)
42. 墓地の地主であり監督官である昌兒、ここに墓碑を刻む・・・(文字中断)
(第八面の最初に)
大和三(AD829)年二月十六日 偉大な事が起きた。棺が別の場所に移された。
以上
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
『景教遺珍』葛承雍主編(2009年、文物出版社)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)