真言宗の灌頂(かんじょう)と聖書のバプテスマ(洗礼式)の違い
私は青年時代、イエス様が私の罪を赦(ゆる)すために十字架で身代わりに死なれ、復活されたことを初めて聴いて心動かされ、「南無(信じる)イエス・メシア」と信仰告白しました。仏教徒であり敵対していた私は、何一つ無知でした。
古代南インド発信の真言密教と古代ユダヤ発信のイエスの教えは、背景が当然異なりますが、どのように違うのでしょうか。
1. 真言宗の灌頂
密教信者になる方は、頭の頂に水を注がれる灌頂を受けます。
805年6月に空海は長安で師の恵果から、胎蔵界曼荼羅図(たいぞうかいまんだらず)に花葉を投げると大日如来図の上に落ち、頭に水を注がれる灌頂を受けて大日如来と縁を結び、7月に金剛界(こんごうかい)灌頂を受けると大日如来と結縁し、8月に伝法阿闍梨(でんぽうあじゃり)の位の潅頂を受けて、密教の教えを広める唯一の伝法者となりました。灌頂によって大日如来と縁を結んで一体となった空海は遍照(へんじょう)金剛の名を受けました。遍照金剛とは、大日如来のことで、その光が万物をあまねく照らしダイヤのように堅い命のことで、信者さんはどんな時も「南無(信じる)大師遍照金剛」と唱えます。この名前を唱えることで空海がいつも救ってくれていると信じています。
大日如来は非人格でありつつも唯一の教主として信仰者から崇められています。真言宗の教えでは、人間は大日如来の命から生まれ、地上を離れると大日如来の永遠の世界に帰って仏になると教えます。真言宗は、聖書の創世記ほかが啓示するような人格者による天地創造、原罪・贖罪(しょくざい)のない宗教で、古代グノーシス宗教観に似ています。
真言宗では、灌頂を受けると一切の罪障(ざいしょう)が赦されると教えています。「金剛頂中瑜伽略出念誦経(こんごうちょうちゅうゆがりゃくしゅつねんじゅきょう)」には、「一切衆生(しゅじょう)を悉(ことごと)く救わんが為にその器たると否とを論ぜず、また大罪を犯した者も尽引入せしめし、一度この大檀を遥見し、入檀すれば、一切の罪障を遠離す」とあり、「入檀すれば」の無条件の儀式は、厳かさはあっても贖罪がなく、護摩木(ごまぎ)を燃やして罪障を消滅させるのも一時的慰めのようで、しかし多くの人が心を引かれています。
2. キリスト教のバプテスマ(洗礼)
景教碑には水に浴することと聖霊による新生の教えがあり、イエス・メシア経にも洗礼について書いてあります。
新約聖書は創造主との霊的永続的な関係回復を得る特別な恵みとして、信じてバプテスマを受けるよう教え、先がけにイエスが受けました。イエスは永遠の神の御子でしたが恵みを受ける見本を示し、多くの民衆も洗礼を受けイエスについていきました。
洗礼を受ける者は聖書の神(父・子・聖霊)と救いを信じており、救い主イエス・キリストの名前を呼んでバプテスマを受けます。それによってキリストの体に結ばれ、聖霊の助けと御言葉を蓄えて成熟し、イエスを学び、天国を目指します。
使徒ペテロは「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」と言いました(使徒2章38節)。また「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」とも約束されています(ローマ10:13、ヨエル2:32)。
善人は罪人を受け入れることは難しいですが、無条件の愛で罪人を受け入れてくださる義なるキリストがその人を赦し、新しい命に歩ませてくださいます。
3. 両者の違い
洗礼式と灌頂は水を注ぐ点で似ていますが、仏菩薩曼荼羅図に花を投げ結縁する儀式は違います。
聖書は創造主に背き否定する人間の原罪があるゆえに、儀式や善行では救われず、罪を赦す代価の身代わりとして神の御子が十字架で罪を赦しました。信じる者は義と認められ、イエスの復活によって永遠の命が与えられるようになりました。
人間空海と縁を結ぶ灌頂は、視覚的で厳かさと感動はありますが、罪の赦しと永遠の命の保証がありません。原罪の赦しも聖霊による新生の体験もなく、十善戒を守って生きる善行があり、その者には戒名が授けられます。
聖書と教会はキリストの贖罪愛を想起する感謝の聖餐式を設けており、それによってキリストの足跡に生きる道が教え示されますが、信者にとって一番喜ばしいことは天国の命の書に名前が記されていることです(ルカ10:20)。
注)灌頂とは大日如来との関係を持つための信仰上の儀式を言い、次の三つがあります。① 結縁(けちえん)灌頂は、守り本尊になってもらうための儀式。目隠しして指で挟んだ葉を曼荼羅に描かれた如来や菩薩図に投げて落ちたところのそれらと関係を持ちます。そのあとで頭上の開いた帽子を被らせられ水が注がれます。② 受明(じゅみょう)灌頂 は、弟子としての資格を得るためのもの。③ 伝法(でんぼう)灌頂は、指導者としての職を受ける灌頂。灌頂は、金剛智(671~741)や弟子の不空(~774)らが授け、その弟子の恵果(746~805)から空海へと伝わりました。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
『高野山真言宗檀信徒必携』(1988年、高野山真言宗教学部)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)