1~2世紀以降、使徒たちによって福音が伝えられると各地に教会が建ち、指導者が立てられ、組織運営が行われます。教会は聖書とメシアを学び、自らを養い、信仰と教理を伝え、人を導き洗礼を授けるとさらに信徒が生まれます。
しかし教会運営の途上、様々な問題も生じます。聖書理解や信仰告白の違い、献金による金銭感覚の違い、人間関係など、問題が解決不能になると亀裂が生じ、時には互いを「アナセマ(呪い)」呼ばわりし、分派や分裂が起き、苦難が続きます。分裂により新しい教会も生まれ、教訓を生かしつつ組織を作っていきます。これも教会の歴史であります。例えばヨーロッパでは、ローマ教会から多くのプロテスタント諸教会が生まれ、さらに大小の教会団体が数多く生まれました。
① 西側で起きた異端論争
キリスト教世界と言えばローマ教会を中心とした西側世界と考えられ、そこでキリスト教学、キリスト教文化や神学が展開されました。東方教会と言ってもギリシアやロシアなど、ローマから見て東にあるビザンチンの東方正教会のことと考えている人が多いかと思いますが、東方諸教会も数多くあります。
使徒たちの後継者たちによって始まった古代には5つの教区が作られ、それぞれの地域の教会が優位性を主張しました。特にローマ教会はペテロとパウロが関わったことから全教会のトップに立つ首位性を唱え、初代教皇は使徒ペテロで、「唯一・聖・公同・使徒的教会」がローマ教会です。
他方、コンスタンチノポリスとアンテオケとアレクサンドリアの地域はそれぞれの民族的文化的特徴を反映した神学を営み、考えの違いから争いも起き、異端論争へと発展しました。論争の結果、他方を追放し、一方が信条を作成し、そこには皇帝も加わり、政治的に利用されていったこともあり、その内容は異端と正統を区分けして異端を断罪する会議でもありました。
② ローマ帝国内の教会会議と異端論争
325年には、二ケヤの地で第一回総会議(公会議)が開かれ、二ケヤ信条が出来ました。コンスタンチノポリスの地では3度の会議(381年、553年、681年)が開かれ信条も作成されました。431年にはエペソ会議(ネストリウスの追放)、451年にはカルケドン会議、最後の787年に開かれた二ケヤで計7回の総会議が開催され、この7つの会議の開催地はすべてローマを除くコンスタンチノポリス近辺で実施され、二ケヤ信条、二ケヤ・コンスタンチノポリス信条、カルケドン信条が作られました。つまり異端論争はこの地で成され東方正教会(ハリストス<キリスト>正教会)が正統となり、その信条が今も東方正教会に受け継がれてきました。「正教会」の正とは正統(オーソドキシー)の意味です。
初代教会が最初に開いた会議である使徒15章のエルサレム教会会議では、救いの条件について問われ議論されました。人が救われるのはイエスをメシアと信じるだけでいいのか、ユダヤ教のように割礼を受けることや何らかの行いが必要かが問われました。その結果、人がイエスを学び、イエスをメシアと信じるのみで救われる信仰義認を議決しました。それは聖書から導きだしたもので使徒たちは聖霊の指導であると教えました。
教会は問題が生じたときに会議を開き決議してきました。ところが後に述べるエペソ会議は一方を断罪する会議でした。これは聖霊の導きと言うよりは皇帝主導の政治的会議とも言われています。
③ 東方ペルシア(波斯)教会の教会会議
一方で東方のペルシア帝国の教会はローマ帝国とは一線を引き、410年に首都のセレウキア・クテシフォンでイサク総会議を開催しました。これは先にローマ帝国内で開催された二ケヤ信条議定書を受け入れた会議でした。
424年にはダドエシュ総会議を開催し、西方ローマ教会の首位性でなく、どの教会も主イエスにあって一つであり、信仰の自由を尊重し、従属や競合でなくそれぞれの地域に建てられた神の教会の宣教と教会建設の重要さを示しました。
これは16世紀に起きた西方世界の宗教改革の精神と似ている部分があり、ローマ教会が主張する、兄がローマ教会で弟がプロテスタント教会の従属的な関係でなく、キリスト者の自由が示されたものであります。
④ 異端論争の論点
西方のローマ教会は古代から信じ告白してきた古ローマ信条を基本に、12項目ある使徒信条を堅持してきました。その流れのプロテスタント諸教会も使徒信条を唱えている教会が多くあり、この信条に反対する者を異端者としたこともありました。
二ケヤ信条や使徒信条を見ますと、一番多く告白されている部分は「神の子、主イエス」に関する項目です。
父なる神は一行で告白され、聖霊も短文で一行です。教会に関しても少しです。当時の正統と異端の論点はイエス・メシアは神であったのか、神なら人との関係について問われ、議論されました。
⑤ 信仰告白の始まり
主イエスは弟子たちに対して「私をだれだと言いますか」と問いかけると、弟子の一人のペテロは「あなたは生ける神の子キリストです」と信仰告白し、それは天の父に由来すると認めました(マタイ16:13~、マルコ8:27~、ルカ9:18~)。イエスは自分が来るべき約束のメシアであることも同時に伝えました。
一方で、ヨハネの福音書は、はじめからイエスが神で(ヨハネ1:1)、メシアで、彼への信仰告白から書き出し、信仰告白でまとめているのが特徴です(ヨハネ20:28のトマスの信仰告白「私の主。私の神」)。
パウロも「このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です」(ローマ9:5)と告白しました。
信仰者は最後まで信仰告白に生きます。信徒の命と目標は主イエスであり彼への愛と信仰告白です。告白した信仰に生きることや伝えることを証(あかし)と言い、その人をイエスの証人と言ってきました。証人はイエスと共に生き、イエスも信仰告白者と共に生きます。つまり個人的にイエスと人が人格的信頼関係を築くのが聖書の教える信仰で、信頼関係を表現するのが証、証言と言えます。
ちなみに証(ギリシア語でmartyria)の言語がラテン語へ訳され、英語の殉教(martyr)に転化したことは知られております。しかし特別な殉教死だけの一方的な意味だけでなく、だれもがイエスの愛を知り、イエスのために命と人生を捧げていく、その証が出来ることは大変光栄ではないかと考えます。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、2014年、イーグレープ)
『比較宗教学21』(川口一彦、1996年)
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川口一彦(かわぐち・かずひこ)
1951年、三重県松阪市に生まれる。現在、愛知福音キリスト教会牧師。日本景教研究会代表、国際景教研究会(本部、韓国水原)日本代表。基督教教育学博士。愛知書写書道教育学院院長(21歳で師範取得、同年・中日書道展特選)として書も教えている。書道団体の東海聖句書道会会員、同・以文会監事。各地で景教セミナーや漢字で聖書を解き明かすセミナーを開催。
著書に「景教-東回りの古代キリスト教・景教とその波及-」改訂新装版(2014年)、「仏教からクリスチャンへ」「一から始める筆ペン練習帳」(共にイーグレープ発行)、「漢字と聖書と福音」「景教のたどった道」(韓国語版)ほかがある。最近は聖句書展や拓本展も開催。
【外部リンク】HP::景教(東周りのキリスト教)