いのちの尊厳
(1)人権より人格を
私たちが生きていくうえで、本来神から与えられている人権、すなわち生存権が主張され、また擁護されなければなりません。しかし、人権を擁護し主張する前に、まず考えなければならない大切な問題があります。それは「人格」です。
胎内のいのち、胎児にも、人間として擁護されなければならない人権のあることは当然です。しかしその前に注目すべきは、胎児も、神ご自身によって尊い神のかたちに創られたいのちとその人格の当事者であるということです。
胎児の人権よりも胎児の人格が基調です。産む、産まないは女性の権利、あるいは人間の自由と主張する前に、人知の思いをはるかに超えて創造され、与えられている、神のかたちである胎児の人格が優先されるべきは、人間として当然なことであり、必然です。
私たちが憂慮しなければならないことは、強者の人権を主張するあまり、弱者の人権人格を無視し、破壊していくことです。また不可抗力で望まぬ妊娠に戸惑い、苦しむ被害者が犯されたのは、人権であるより人格です。加害者の刑が重いのも当然です。なによりも大切にされるべきは、人権よりも人格です。
強者の人権や自由が声高に叫ばれるほど、弱者と共に強者の人格も破壊されていると思われます。相手の人権を無視し、自分の権利のみを主張し、人間の中で最も弱者である胎児を殺してもよいという権利や自由は、何人にも与えられていないはずです。しかし現代は、人権が声高く叫ばれても、人格が無視されている時代です。
(2)胎児も人間です
神は、私たち人間のいのちを神のかたちに胎内でかたちづくり、出生前のいのちと出生後のいのちに、なんの区別や断絶を認めていません。いのちは連続で断絶はあり得ない永遠のものです。
なによりも、永遠から永遠に変わることのない神の子イエス・キリストが、私たち人間を救ってくださるために、私たちと同じ人間になられるとき、母マリアの胎内からこの地上の生活を始められました。胎内のイエス・キリストは完全に神の子であり、完全に人の子です。
胎児が人間であることを否定することは、かつて自分も胎児であったことを否定し、自分自身を否定することです。そして、胎児の人格や人権を認めないのに、自分に人権があり価値があると思う自己矛盾におちいり、胎児への暴力につながるのです。胎児は人間です。
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辻岡健象(つじおか・けんぞう)
1933年生まれ。大学卒業後、7年間ビジネスマンとして実業界で活躍。神学校卒業後、20数年間牧師として奉仕。現在、いのちの尊厳を標榜し全国に3000人余の会員を有する「小さないのちを守る会」代表。特に現代のいのちの軽視と性の乱れに痛みをおぼえ戦いながら、中・高・大学、PTA、教育委員会、公民館、病院、ロータリークラブ、VIP、教会、各キャンプ等で講演活動。新聞雑誌等に寄稿し、テレビにも出演して現代社会における「いのちと性」のあり方について訴える。未婚女性妊娠問題等にも具体的な援助。中学・高校教員免許資格取得。教育学博士。著書に『小さな鼓動のメッセージ』他。趣味はスキー、マジック、腹話術。
■ 外部リンク:「小さないのちを守る会」ホームページ