人工妊娠中絶の実態と現実
わが国の人口妊娠中絶の実数は、現実的には把握できません。都道府県優生保護審査会より中絶施術資格を取得している優生保護法指定医から厚生労働省に届け出る中絶件数は、年間約30万件前後ですが、それは実数ではありません。それに未届け数と闇中絶を加えると、年間300~500万と言われています。
日本の年間出生数は、100~120万前後ですから、4人の胎児のうち約3人が中絶されていることになります。赤ちゃんが一人生まれるたびに、3~4人の赤ちゃんが産声をあげることもなく中絶によって闇から闇に葬りさられているのです。
中絶の生き残り組
以下は「いのちの尊厳」と題する筆者の講演の大学生のアンケートです。
「母が私を妊娠したとき、父は20歳でした。お金に余裕があるわけでもなく、若かったので中絶の話も持ち上がったそうです。両親は断固として拒絶し、私を生かしてくれました。『あなたたちは中絶の生き残りです』という牧師様(筆者)の言葉が深く胸に刺さり、産むことを選択してくれた両親に感謝しました。中絶という行為の重さを改めて感じました」
わが国の中絶理由の99.9%が、経済的理由によるというのが現実です。いのちを犠牲にしてでも手に入れたいものとは何でしょうか。それは支払わなければならない洋服の月賦であり、車の月賦であったりするのです。
そして膨大な中絶犠牲者の数は、過去の戦争犠牲者の総数よりもはるかに多いのです。無事誕生できた者全員が「中絶の生き残り」と言っても、過言ではありません。
胎児の行方
母体保護法によって中絶される胎児の行方を追って、人工妊娠中絶の実態を直視する必要を痛感します。これは、中絶担当医や中絶当事者を責めるものではありません。立場が代われば誰にでもその可能性がある謙虚さが問われる問題です。
この問題は、何よりも中絶される胎児の立場になって、各自考えなければならない問題です。
中絶手術見学体験記『わが性と生』瀬戸内寂聴(新潮社)
その地区の公立の病院へ行き、私たちは白い手術着を着て、掻爬(そうは、中絶)の手術に立ち会いました。すでに麻酔の注射がされているらしく、患者は意識がなさそうです。10人くらいの医者やインターンにとり囲まれて手術が進行していきます。
膿盆(のうぼん)に掻き出される血みどろの肉片を見て、私は気分が悪くなり嘔吐(おうと)がつきあげてきました。
突然患者が、「痛い、痛いよっ!いやだ、痛いよっ」と泣き声をあげたのです。それは無意識の中で叫んでいるので本当は痛さは感じていないのだと、説明してくれましたが、その悲痛な叫びは、やはり無意識のさらに底からほとばしる声としか思えません。
「うるさいなあ、静かにしろ」
医者のひとりが患者の頭を軽くこづき、肩を押さえました。声はひっそりと静まりました。と、また不意に、泣き声をふりしぼって、男の名前を二声、三声、声高に叫びました。
私はその場にほとんど気を失い座りこんでいました。
その時のショックはなかなか消えませんでした。肉からむき出された、どす黒い暗い割れ目、そこから掻(か)き出される肉片の数々、タイルにしたたり流れる血汐(ちしお)の赤さ。女の悲鳴。
胸をふさがれ、私は当分、肉食ができませんでした。
中絶手術に立ち会った看護師さんの手記
私は一昨年、産婦人科のある病院に勤めました。ところが、そこは、子どもを産ませる所でなく、赤ちゃんを引っ張り出してしまう所なんです。私、そんなことを知りませんでしたから、入りましてびっくりしました。
毎日3人ないし5人くらいの赤ちゃんを掻き出してしまうんです。万事休すで仕方ないもんですから、毎日その仕事をしていました。そしてそれを毎日、目の当たりに見ました私は、いかにそれが無残なことであるかということを、身をもってひしひしと体験したのです。
5カ月ぐらいの赤ちゃんをおろしまして、その赤ちゃんをそのまま病院の暗い土間の所へ捨ててあるのです。そうしますと、ときどきニャーと赤ちゃんが猫みたいな声で泣いているのですけれども、だんだんその声も聞こえなくなって死んでしまう。
おろした赤ちゃんが非合法の場合ですと、それは小さく刻まなければならないんです。例えば手は、人間の手ということが分からないように指の先から一寸刻みに刻んでしまうわけです。それをトイレに持っていって流してしまうんです。
この世に生まれてくれば、あるいはどんな人におなりになったか分からない。立派な方におなりになるようなお方を、五分刻み、一寸刻みにしてトイレのようなところへシャーと流してしまうんです。
胎児、いのちとは、なに
誰一人、自分の意思で生まれてきた人はいません。また、両親の意志によるのでもありません。世界の遺伝子工学の最先端をいく元筑波大学の村上和雄教授は、「人間はカビ一匹作れない」、また「オタマジャクシがなぜ蛙になるか」が究明できれば、ノーベル賞を何個でも受賞できると話されます。いのちは神秘に満ち、「サムシング・グレイト(何か偉大な力)」、すなわち、天地の創造主によって創造される以外にあり得ないと同教授は断言されます。
いのちの創造主である神によって創造されたいのちに、神のいのちに対する目的と計画があり、誰一人不必要な人はいません。かけがえのない社会の大切な構成員です。そのために一人ひとりに生来の生存権が神から与えられているのです。
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辻岡健象(つじおか・けんぞう)
1933年生まれ。大学卒業後、7年間ビジネスマンとして実業界で活躍。神学校卒業後、20数年間牧師として奉仕。現在、いのちの尊厳を標榜し全国に3000人余の会員を有する「小さないのちを守る会」代表。特に現代のいのちの軽視と性の乱れに痛みをおぼえ戦いながら、中・高・大学、PTA、教育委員会、公民館、病院、ロータリークラブ、VIP、教会、各キャンプ等で講演活動。新聞雑誌等に寄稿し、テレビにも出演して現代社会における「いのちと性」のあり方について訴える。未婚女性妊娠問題等にも具体的な援助。中学・高校教員免許資格取得。教育学博士。著書に『小さな鼓動のメッセージ』他。趣味はスキー、マジック、腹話術。
■ 外部リンク:「小さないのちを守る会」ホームページ