津波によって街は損なわれ、コミュニティは傷つき、伝統が壊された。大船渡教会(日本基督教団)の村谷正人牧師は、教会の礼拝プログラムも変えていこうと考えた。「立ち上がって賛美歌を歌った後、みんなで握手するんです。『平和のあいさつ』と呼んでいますが『キリストの平和がともにありますように』と握手し合う。恥ずかしくていやだと言う役員もいましたが、じゃあ1カ月だけやってみましょうと説得して始めました」
やってみると、反対意見を述べていた人も「なかなかいい」と賛成に回り、なかには「ハグしてもいい」「それはさすがに・・・」などと、みんなで盛り上がっているという。「初めて来た人にも『初めて?』でも『ようこそ』でも、何でもいいので、みんなで声をかける機会になります。そうしたひとときがなければ、特にこうした田舎では、新来者は二度と来ないですよ」と村谷牧師。
震災後に礼拝出席者は増えたという。全国から送られたたくさんの災害支援物資が、大船渡教会から地域の人に配布されてきた。後日、「もらってばっかりじゃ悪いから」と地元のおじいちゃんが教会に通うようになり、最近は孫も連れてくるという。大船渡にはエレベーターのある建物が少なく、子ども達は教会に設置されている高齢者用のエレベーターを珍しがって「乗りに来る」こともある。
会議を減らして、楽しくお茶飲み話をする時間を増やした。役員会も極力短くしている。「日曜日に教会の会議や委員会で遅くなり、疲れて帰る親を見て、子ども達は大人になっても教会に通いたいと思うでしょうか」。教会は楽しい、来週も行こう、という場所を目指したいのだと言う。長い会議よりも「みんなでお菓子を広げて語り合い、子ども達は走り回り、漬物教室が開かれ、賛美歌の練習も始まる」。それが村谷牧師の理想だ。
新しい提案をしても、人が来ない時は来なかった。それまで開かれていなかった平日昼の祈祷会を始めたものの、当初は参加者がなく、「だれもいない会堂で、私一人で賛美歌を歌ったり、説教していたこともありました」。しかし、最近では10人ほど集まる日もあり、教会に新たに通うようになった人が、仮設団地の人を誘って来ることもあるという。
意外なことも始動させている。その名も「ラーメン研究会」。香港から来て被災地支援を続けている宣教師とともに、ラーメン好きの有志を集め、おいしいと評判の店に出向いてその味を語り合ったり報告書をまとめたりしている。メンバーには未信者もいて、ともに祈りの時を持つ。積極的に教会の外に出て活動していく「セル・チャーチ」づくりを、村谷牧師はいま考えている。
「桜が美しく咲いていれば、木の下でみんなで賛美する。そういうところからのアプローチでいいと思うのです」。まだ雪降る中にある震災3年目の桜も、開花に向けてつぼみを備えつつある。 (続く:「でも、神さまはぜんぶわかっているから」~大船渡・佐々木テリーサさんの証)
■【3.11特集】震災3年目の祈り:
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※「震災3年目の祈り」と題して、シリーズで東北の今をお伝えしています。