公開パネルディスカッション「3年目の問い~震災・原発・福島から見るキリスト教」(キリスト教出版販売協会出版部会主催)が21日、東京・新宿の日本キリスト教会館で開かれた。
パネリストは、柳沼千賀子(NPO法人「福島やさい畑」代表)、北村敏泰(中外日報特別編集委員)、島薗進(上智大学教授)、西出勇志(共同通信編集委員)の各氏。
カトリック、無宗教、プロテスタント、さらに来場者の僧侶にもマイクが渡され、それぞれの立場から震災3年目の総括と提言が交わされた。午後6時に開催し、予定していた2時間を20分ほど超え、閉会後も熱心に情報交換する姿が見られた。
パネリストの柳沼氏は、カトリック信徒の立場から、福島の野菜が放射能汚染の風評被害で出荷できなくなり、農家が困っている状況を変えようとNPO活動を始めたことを語った。
野菜をネット販売する農園と話し合い、地元と首都圏のカトリック教会の協力を得て販路を拡大させた。「福島の農業の復興のためにと、スタッフ全員、最初の3カ月は給料なしでしたが、誰一人、不平不満を言う人はいませんでした」
被災地支援の働きは、宗教者としてか、人間としてか、という問いに対して柳沼氏は「信仰とは生き方のこと。どちらとも言えます」と答えた。
北村氏は、ジャーナリストとして被災者の心の問題を見つめてきた。自らが特定の信仰を持たないと前置きし、「宗教者の役割は人の心に寄り添うこと。信仰とは言葉を語ることでなく、行動だ」という。
マタイによる福音書の「自分がしてもらいたいことは他人にもしなさい」は、すべての宗教に通じる「黄金律」であるとした。
現場の事例として「小さな街で、ともに熱心に被災者支援をするキリスト教会と仏教の寺が、距離にして100メートルほどであるにもかかわらず、なんの連絡も連携もしていなかったことに違和感を覚えた」と指摘した。
島薗氏は、宗教学者として宗教に親しんではいても、特定の宗教に加わっていないと自己紹介し、「宗教に所属しない人が宗教的なものを身近に感じるということが、3・11以後に広く起こった。宗教的なベースがない弱さは、私自身も経験した」と言う。
また、特定の宗教を持たない危うさが世界的に感知されつつあるかもしれないとし、「宗教者でなければできない必然性」が求められていると語った。
さらに、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』に触れて「東に行って、西に行って、とありますが、この『行く』ということが大事なのです。何ができるか考える前に、まず行くことなのですね」と言う。(続く)
■ 震災・原発・福島から見るキリスト教:(1)(2)