【3.11特集】震災3年目の祈り(13):デイビッド風間牧師「奉仕者の汗や泥にまみれた姿の中に、人々はキリストの愛を見る」――からの続き
「アメリカでは、Church without wall(壁のない教会)を作ろう、ということが言われてきました。教会にこもるのではなく、信徒だけの閉鎖空間にするのでもなく、外に出て行き社会活動に加わっていくのです」風間牧師はそう語る。
「聖書の話をしているから聞きに来てくださいという伝道ではなく、教会の外に出ていって、ボランティア活動の中で、神の愛というものを体験してもらう、それが一つのアプローチでした。その次は、そこをどうやって教会としていくかが課題です」
「こんなことをどうして神様は許すのか」「そんな神など信じたくない」と嘆く被災者に、どう向き合ってきたのか。「日本人が一般に言う『神様』は、聖書の神様ではないということを、まず踏まえなければいけません。そこから直していかなければ」と風間牧師。「日本語で『神』と訳してしまった、この問題を今でも引きずっているのです」
「英語であれば“GOD”と“gods”の区別があり、聖書の神と、土着の小さな神々という概念が名称からも分かりますが、日本語だと『神』しかないために混乱が生じます。まず、神とは何かを定義しようよ、というところから会話を始めないと、『神は愛です』と言っても伝わりません」。日本の宣教においての根源的な用語上の難題だと語る。
東北の人は責任感が強く、お寺の檀家を真面目にやっている人が多いと言う。「先祖の墓を守らなければという意識は強いですね。多くの場合、キリスト教側に墓の備えがないということも課題。そこが示されていないのに、教会に来なさい、イエス様を信じれば・・・と言っても難しいのです」
風間牧師は、今、日本で人が集まっている場所が3つあると指摘する。「コンビニ、病院、パチンコ店です。毎日の小さな需要を満たすコンビニに、1日平均600人くらいお客さんが来るそうです。日本の多くのキリスト教会は、日曜日に30人集まるのがやっとという現実があります。ある意味、教会は完全敗北しています」
コンビニのような、お医者さんのような教会を目指したい、と言う。「医者はどんな病でも治すために努力する。教会も、みんなの小さな需要を満たして、同時に、人が癒やされる場でありたい。また、パチンコのようにではなく、本当のエンターテイメントである“喜び”が得られる。そういう意味での、良き『コンビニ教会』となることが理想です」
KHCは現在、朝9時から夜9時までオープンしていて、誰でも歓迎している。訪ねて来た人には無料のコーヒーやお茶を出す。「カフェのようなものですが、お金は一切もらいません。お腹が空いた人にはご飯も提供します。おしゃべりもできるし、相談があれば話を聞きます。ちょっと疲れた、気持ちが落ち着かない、そんなことでも何でもいいんです」
津波の時にどうやって生き残ったか、そのことを話す人が多い。仮設住宅では胸につかえて語れなかったことが、ここに来て初めて言葉にできた、そう言って涙を流す人もいる。「ここでひと息ついて、人生のちょっとしたヒントを得てもらえればいい。人生のコンビニのような、休んで、補給できる場所を提供したい」
いつでも電話していいですよ、と携帯電話の番号を伝えている。「いつでも話せる人がいる、そのことだけで、心が救われる人は多いのです」
KHCの働きは、全世界のキリスト教会からの援助によって支えられている。今もボランティア拠点として支援チームを受け入れ、全国からの問い合わせに応じている。(続く:福島を「忘れない」から「思い続ける」へ~南相馬市でボランティアを受け入れる、カリタス原町ベース)
■ 気仙沼ホープセンター(KHC)
http://khopec.org
■【3.11特集】震災3年目の祈り:
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)(最終回)
※「震災3年目の祈り」と題して、シリーズで東北の今をお伝えしています。