南相馬市に拠点を置くボランティア・チームの車で、浪江町に入った。一般車が許される限界、つまり通行禁止区域のゲート手前まで行ってみることにした。
一見して普通の街並みを通過していく。決して繁華ではない、よくある地方の光景。人も車も動いている街だが、「そう見えるかもしれませんが、ここは人が夜とどまること、寝起きすることが禁止されているエリアなんです」
案内者の説明を聞くと、周囲の風景の色が違って見える。あたりまえに民家があり、商店、理髪店、信用金庫などが営業していても、ここで暮らす人はいないのだという。無論、放射能の影響を考慮しての措置だ。
「夜は人がいないので、イノシシや野生化したブタ、その雑種がかなり増えています。ある意味、野生の天国ですが、彼らにもなんらかの影響がないとは言えないでしょう」。渡り鳥の鶴の群れが、荒れ地で餌をついばんでいる姿を見た。心おだやかではいられない。
居住は禁止されているが、日中に来ることはできる。しかし、さすがに人の数は少ない。この街で商売をしても収入は多くない。しかし、いつかは完全な形でこの地に帰りたい、ゴーストタウンにはしたくない、という思いで、仮設住宅などからこの街に通い、店を続けている人たちがいる。
さらに進むと、「東日本大震災 津波浸水区間 ここから」と書かれた標識が道の上に掲げられていた。
車道の周囲には荒れ地が広がり、転々と廃墟がある。かつて田畑だった地は荒れ果てて、再び耕作できる目途は立っていない。
津波で押し流された車が、いまなお放置されている様子が目に入ってくる。
恥ずかしいことだが、東京に住む取材者は、このような光景はすでにないものと、どこかで思っていた。瓦礫は片づけられ、廃墟は修復されるか更地になっているものと。そう信じたかったのかもしれない。
しかし、これが今も続く現実なのだった。放射能の問題が完全に解決されるまで、苦難の終わりは見えてこない。この地を訪ねて、祈らないでいられる者は、多くないだろう。 (続く)
■【3.11特集】震災3年目の祈り:
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※「震災3年目の祈り」と題して、シリーズで東北の今をお伝えしています。