仙台市の東北学院大学ラーハウザー記念礼拝堂で11日、東日本大震災3周年記念礼拝・講演(日本基督教団主催)が開かれた。記念礼拝では、仙台東六番丁教会牧師で前の東北教区議長だった高橋和人氏が説教を取り次ぎ、聖学院大学次期学長の姜尚中(カン・サンジュン)氏が記念講演を行った。
講壇からの連続祈祷の中では「地震と津波によって多くの尊い命が召され、生き残らされた人たちは、なぜ自分がという問いの前に立たされました」「恵みとして与えられた食べ物を、土地を、環境を汚した罪をおゆるしください」など、悲痛な叫びのような祈りもなされた。
記念礼拝で、高橋氏は「まことの光を求めて」の題で自らの被災と被災地を間近に見続けてきた体験について触れ、「人は光を求めてきた。より明るく、より速く、便利で強いものを作りだすことはよいこととし、疑問を持たなかった。その代償について楽観視していた」と述べた。
さらに「言葉の混乱」を指摘し、「被災地で言葉を失った人、思いを表わせないでいる人、何が起きているのか本当には伝えられていないこと」が、旧約聖書の「バベルの塔」と重なるとした。「人間は神の前に、まことの光を作りだすことはできていない。私たちはこのことに気づかねばならない」。そしてヨハネによる福音1章1節「初めに、ことばがあった」を引用し、「ここに失われない言葉があり、私たちの言葉を回復していく鍵がある」とした。
姜氏は「犠牲のシステムを超えて──ミナマタ・ヒロシマ・フクシマ」と題して記念講演を行った。「原爆投下の悲惨を知る国が、なにゆえ列島いたるところ五十数基の原発を。なぜ戦後の日本がヒロシマからフクシマへと至らねばならなかったのか」と問いかけ、国家を無謬(むびゅう)として服従する「国家教」を指弾した。
韓国と中国の原発の存在にも触れ、「もし中国で事故が起きれば東アジアに取り返しのつかない事態をもたらすことは明らか」「日本は自然再生エネルギーのフロントランナーに立てる。それによって中国と韓国に大きな影響力を及ぼし、国家の枠を超えた東アジア安全共同体への道にも至る」と説き、「残念ながら実際には反対の方向に進んでいるのでは」と懸念を表した。
姜氏はさらに「われわれキリスト者は、国家、人種、民族のとらわれから自由でなければならない。私たちはただひたすら、イエス・キリストの愛のもとに進まなければ」と語る。「この困難な道を歩んでいけるのか、私自身、日本社会に生きる人間として怖気づくこともある」
「しかし、日本社会においてキリスト者であるということは、自らすすんでマイノリティ(少数者)であることを祝福として受け止めるということ」だとし、ローマ人への手紙8章34節からの聖句を朗読して、講演を終えた。「だれが、わたしたちを罪に定めるのか」「わたしたちの主イエス・キリストにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」 (続く:鎌倉・鶴岡八幡宮で超宗派の「追悼・復興祈願祭」~賛美歌「アメイジング・グレイス」も)
■【3.11特集】震災3年目の祈り:
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※「震災3年目の祈り」と題して、シリーズで東北の今をお伝えしています。