「この世の終わり。そう思いました」。尾形伸一さん(58)の家は気仙沼市の鹿折(ししおり)地区にあった。街を津波が襲い、さらに一帯は火災に包まれる。避難した高台から戻った時には、黒焦げの瓦礫(がれき)が広がるばかりだった。
逃げ遅れた多くの人が津波に飲まれた。「生き残って、次に考えたのは、どうやって食べていくんだろう、でした」。消防団員の尾形さんは山を越えて食料を運び、パンとビスケット1個ずつを分け合った。「でも、自分はまったく空腹を感じないんですね。とにかく子ども達に与えないと、そう思って動いていたのは覚えています」
勤め先の家具工場も被災していた。避難所のテント暮らしが続くある日、大きなトラックがやって来て、食べ物と物資を配り始めた。その一団を見て「この人たちはなんだろう」と不思議に思った。世界の被災地に支援物資を届けるキリスト教団体、サマリタンズ・パースだった。「売りに来たのか、初めはそう思いましたね」(笑)
外国人から気前よく食料が与えられ、小さな冊子も手渡された。見ると「キリスト」とある。「キリストってこういうこともやってるんだ」。驚きとともに何かが胸に残った。その後、日本人クリスチャンとの出会いもあり、交流の機会を持った。「無力な偶像礼拝」という言葉が、尾形さんの心に一石を投じる。
「人間が作ったものに手を合わせて何になるんだと。ショックでした。それまで、親も誰も教えてくれなかったことでした」。祈り会に誘われたが、戸惑った。「メンバー同士きっと仲が良くて、きちんとした人ばかりだろう。俺なんか行ったって・・・」。それでも付き合いのつもりで、奥さんに出かけることを告げると「私も連れていって」。奥さんも、もらった聖書を読んでいた。
祈り会での心洗われる時間と、人々との親密な交わりに、夫妻は強く心ひかれた。奥さんは聖書を読むたびに、そのとおりそのとおりと涙を流すようになる。二人で気仙沼第一聖書バプテスト教会に通いはじめ、2012年10月、嶺岸浩牧師により夫婦ともに洗礼を受けた。
■ 夫婦で洗礼を受ける 「水をくぐって、すべてが変わった」
洗礼については、水に浸るだけのものだと思っていたが、「ぜんぜん違いました。水をくぐって体が浮き上がった時、すべてが変わったという確信がありました。家もアルバムも、持ち物みんな流されて失いましたが、その数百倍の恵みが与えられました」
仮設住宅に閉じこもって鬱(うつ)になる人の話をよく聞くという。喪失感や虚無感から来るそうした問題も「僕のように信じれば、失った以上のものがもらえるんだけどなあと、思わずにいられません」と尾形さんは言う。「支援物資として確かにお菓子や衣服をもらいました。でも、もっと素晴らしいものを私は受け取ったのですから」
「すべて津波で流されて、しかも火が出て燃えてしまったから、何も探し出せませんでした。失って、からっぽだったから、かえってよかった。少しでも残っていたら、あれもこれもと必死に持ち物を探し回ったかもしれません。しがみつくものがないからよかったんです」。仏壇の位牌(いはい)ぐらい残っていればとこぼす親類もいたが「出てこなくてなくてよかった」と笑顔を見せる。
物質ではなく、心の中が変えられた。「いかに誠実に、人を愛して生きるか、与えて生きるか、それがいちばん大切なことだと気づかせてもらえたことは、もう感謝するほかありません」。この福音を人に伝えたいと尾形さんは語る。さらに「クリスチャンとしての絆も、得がたい財産です」
若いころにバンドをやっていたという尾形さん。日曜礼拝の賛美の時は、手作りの打楽器カホンをリズミカルに打ち鳴らす。気仙沼バプテスト教会の午前礼拝と、すぐ近くのホープセンターの午後礼拝を「はしご」することもある(関連記事:気仙沼市で3周年追悼記念合同礼拝 ~「揺れ動く地に十字架は輝く」の賛美)。教会に新しい棚や家具が必要と聞けば、進んで職人の腕をふるう。喜びあふれる人生を生きて楽しんでいる。(続く:デイビッド風間牧師「奉仕者の汗や泥にまみれた姿の中に、人々はキリストの愛を見る」)
■【3.11特集】震災3年目の祈り:
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※「震災3年目の祈り」と題して、シリーズで東北の今をお伝えしています。