地震と津波と放射能という3つのかつてない災害に遭い、なぜ、どうして、という思いもありましたが、神様、信仰が守られていることはあなたの大いなる救いです。日々の恵みを心から感謝いたします――福島市内、朝の祈祷会に人々が集い、静かな祈りがなされていた。
福島教会(日本基督教団)は、明治19年の創立。今年128周年を迎えるという歴史ある教会だ。1923年に起きた関東大震災の折には、被災者のために連夜祈祷会が持たれ、献金や献品を送り、信徒数名が救護活動に出向いたという記録も教会史に残っている。
その福島教会が、3年前の3月11日から試練の三重苦をくぐってきた。W.M.ヴォーリズの設計による歴史的建造物だった会堂が、激しい揺れのために損傷。屋内外の壁に無数のひびが走った。教会のシンボルだった鐘楼のレンガは崩れ落ち、深い亀裂が露わになった。
「街の人たちにも長く親しまれてきた美しい会堂を、なんとか残したいと願いましたが、修復不可能とされ、後日すべて取り壊されることになりました。壊したくなかったんですよ」。信徒の一人が語ってくれた。
会堂が建っていた場所は更地になっている。その隣に残る伝道館という名の集会所に十字架や椅子を移し、今はそこで礼拝が守られている。損傷はあったものの、ひびを埋め、壁を塗り直した。緑に包まれた美しい赤レンガの旧会堂の写真が室内に掛けられている。
地震直後に停電となったため、その日は何が起こっているのか多くの人がわからなかったという。「電池式のラジオを持っていれば聴けたくらいで、各地の映像を目の当たりにして茫然となったのは翌日です」。だれもが不安な一夜を過ごした。「でも、地震だけなら、まだよかった」と振り返る。
困難はそれだけではなかった。福島第一原子力発電所からの放射能被害だ。福島市内の住民には避難勧告こそ出されなかったものの、幼い子を持つ家族をはじめ、自主的に避難する人があとを絶たなかった。子どもは外に出せない。食べ物もない。風呂にも入れない。恐怖心をあおる余震も続いた。(続く)
■【3.11特集】震災3年目の祈り:
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※「震災3年目の祈り」と題して、シリーズで東北の今をお伝えしています。