何をやっても一人前には足らず、さして取りえもないわりに人一倍敏感で扱いづらく、重石のように統合失調症という病を背負った私である。昨年の夫のがんの闘病を経て、頼りの綱の夫さえいつどうなるか分からないことを骨身に刻んだ。神様だけ頼りであるという言葉は、より真実味を増した。
この世界はなんという不思議な世界なのだろうか。恐ろしいわなのある迷路のような人生を生きる道しるべは ‘聖書’ の中に秘められていた。科学で解き明かすことなどできない途方もない生命、この世界の始まりと終わりの謎も聖書に書いてあるのだから。
その道は、神様自ら十字架にかかるという贖(あがな)いの門をくぐり、天の永遠の命に続いている。信仰の道は、一歩行くごとに神様の愛を知る道筋ともなっている。父なる神の御子なるイエス様が、人間の罪の代償のいけにえとなられ、われらに御救いの門を開きたもうた。その血の重み、神様の愛の深さを、噛みしめて歩む道である。
私は中学生の頃、仲間外れにあっていたために、教室には戻る気がせず、授業が始まっても、図書室に隠れたことがあった。その時に新約聖書と書いてある薄い聖書を手に取った。ここに人生のわけも苦しみのわけも全てが書いてあると直感した。しかし、初めのページから難しい家系図がびっしりと書いてあり、がっかりとして書棚に戻したことがあった。
次に聖書を手に取ったのは、30歳を過ぎてからのことであった。私は友人に勧められるがままにヨブ記を開き、その日の食べ物にも困って物乞いをする人のように、切実に聖書を読んだ。ここにこそ今生きている意味が書いていなければ、この世に残した未練はあろうか。それほどに、生きる意味を見失い、ひっ迫していた。
そして、その日から私は、神様を必要として生きている。
「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(2コリント12:9)
キリスト教は、弱者を力づける。力のなさや乏しさを励まし、そこにこそ神様がおられ、支えてくださると宣言する。
神様のいる世界において、目に映る全てが意味を取り戻していく。空の色の色彩の移ろいも、野に咲く花も、神様の御思いにあふれていることに気付かされ、心満たされる。御言葉は大嵐のとどろきのように、圧倒的威厳をもって胸に迫る。
「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません」(ローマ1:20)
イエス様が集められた弟子たちは、学もない漁師や、罪びとと軽蔑されていた娼婦や取税人、重い皮膚病や盲目の人たちが有名である。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」(マタイ9:12、13)
貧しい者や虐げられていた者、あざけられていた者たちは、イエス様のそばでどんなに安らぎを得たろうか。私もこの神様にあって、あなた様についてゆきたい、と心底救われた一人である。
世の終わりが近づくごとに、ますます世の中は複雑性を増しながら、社会という迷路は生存を懸けて激化してゆく。貧困や孤立、暴力など、社会に無数にある落とし穴に落ちないように、自分のことばかりに労するだけでも精いっぱいである。このような人生に ‘聖書’ は伴走してくれる。そして ‘隣人を愛する’ 人生へと、実りの多き人生へと変えられてゆくのである。
私は信仰を持ったばかりの頃、‘隣人’ と呼べるほどに親しき人のいない孤立を感じていた。しかし、世界情勢や社会の問題に対しての祈りは、遠くの誰かの隣人となることであった。相手は私を知らなくても私は知り、大切な友のように胸を痛め、愛し、祈っている。
神様の言葉は、どんな暗がりや世のひずみに落ちた人をも力づけ、その御光で照らしてくださる。どこに正義があるのかと疑いたくもなる世界の中でも、圧倒的に正義と公平を宣言され、私に従いなさいと力強く語る。
弱くもろいわれわれが「私を、ひとみのように見守り、御翼の陰にかくまってください」(詩篇17:8)と叫ぶと、神様は必ず聞いてくださる。日々の雑務にくたくたでも「若返って、わしのように新たになる」(詩篇103:5)と力づけてくださる。御言葉は、単なる文字としてではなく、圧倒的な真理として、弱った心を奮い立たせる。どんな窮乏をも、神様はその愛でもって満たしてくださる。
「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)。誇れる経歴の一つもなく、また治癒しがたい病を抱えた私でさえ、イエス様の宣言が響くこの聖書を抱えて歩む道は、いかに心強いことだろうか。
今年も春の訪れとともに、桜が咲き始めている。今週は冬のように寒い日もあり、満開は間もなくというところだろうか。1年前の今ごろは、夫のがんの手術の準備に奔走していた。震えるように心細く、おのれの信仰の弱さを思い知った。
今年は、週末は桜が散るまで、関東圏内の桜の名所を夫と回る予定である。桜を見上げながら、神様がこの日まで整えて、運んでくださったことに感謝するばかりである。時には神様に泣き叫ぶことしかできずとも、必ず私たちを背負い、運んでくださる神様である。
(絵・文 星野ひかり)
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星野ひかり(ほしの・ひかり)
千葉県在住。2013年、友人の導きで信仰を持つ。2018年4月1日イースターにバプテスマを受け、バプテスト教会に通っている。
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