幼いころ、真夜中にふと目覚め、窓を開けて外を見ると、夜空は星々をはらんで藍や青、紫に発光するかのように鮮やかだった。私は窓辺に腰かけて、長いこと空を見つめていた。幼い私にとって、真夜中は神秘的な時間であった。
家を出てから都会の繁華街で働き、蛍光管が明滅する騒がしき夜はその神秘性を失い、人の欲望の交錯する真夜中を知った。その後、福祉の世界で夜勤を何年も経験し、神秘だどうだと寝ぼけたことを言っていられない、疲弊しきった夜明けを繰り返し迎えた。
近頃、徐々に真夜中は、幼いころに見ていたような神秘性を取り戻した。私は時に、真夜中を見つめて時を過ごす。夫や猫たちも寝ている中、机に向かい聖書を読み、神様に思いをはせる。
静寂の中に、詩篇の8篇がとどろく。
「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか・・・」(詩篇8:3、4)
指先で天体を旋回させる神様の、この罪びとを覚えてくださるあわれみよ。真夜中の静寂が神様の臨在のように迫り、聖書の言葉はいつになく重みを増す。この世界を圧倒的にご支配される神様の御力に周囲が照らされるようである。
命の数だけの夜があり、いつかの私のように、今も繁華街で働いている人もおろう。真夜中でも明かりの照った倉庫で、病院で、入居施設で、工場で・・・働く人たちもたくさんいる。
路上生活者の人たちは、寒い冬の夜をどうこらえて朝を待つのか。家があろうと、不安の淵で眠れない人もおろう。トラックは今も走っている。夜中であっても、夜行バスや乗用車もそれぞれの行き先に向かい、道は時折、工事中・・・警備員さんが誘導棒を振る。温かな布団で眠っている人もいれば、そうでない人もいる。
社会のひずみで眠れぬ夜を過ごしている人たちのどれほどに多いことか。その心の寒さをも、大海原のように圧倒的に抱き込んで、地球は周り、大宇宙も旋回をする。
私もたくさんの夜を過ごした。いつかの夜・・・認知症の方の集うグループホームで、私は夜勤の仕事をしていた。眠れないおじいちゃんは、車いすでリビングの窓辺に行き、「月が出ているね」と空を見上げて言った。しばらく並んで月を見た。夜空に教会の兄弟姉妹や牧師先生の祈りが、私を応援するかのように響いていることを感じていた。
その数年前、私は未来への不安に骨を震わせるように床に就いていた。教会に行き、人生を立て直そうと懸命な時期であった。
今、毛布の中で祈っている。被災した人たちのことを思い・・・貧困の淵にある人のことを思い・・・暴力に怯える人のことを思って。また、遠い国の戦場の足どりを・・・飢えた子どもの心・・・家を失った人の叫び、売られてゆく命、殺されゆく人の心の暗やみを思い・・・。
胸が締め付けられ、涙もこぼれるが、祈ることで一人じゃないと、私自身も思っているのだ。世界のゆがみ、それによる軋みの中でもだえながら、私も今を生きている。
しかし、どんなにこの世界が均衡を失い、軋んでいようと、神様は「わたしは在る」と宣言される。世界のひずみの暗がりから神様を求める声が響くなら、神様は必ず目を留めてくださる、と。
指を組み、主の祈りを口ごもる。
「天にましますわれらの父よ
ねがわくば御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ
御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ」
夜は深く、そして重い。耐えかねるように目をつむり、朝の4時までわずかに眠る。目覚まし時計が鳴ったら、夫のお弁当を作るために起きるのだ。外はまだ暗い。
寝ぼけ頭のぼさぼさ頭、髪の毛を束ねて小松菜を炒め、同じフライパンでウインナーを焼き、夫の好きな甘い卵焼きを巻く。ホットサンドを、チーズを挟んで焼き上げたら、小さなランチパックに詰める。今日は燃えるゴミの日だ。
白い息を吐きながら、まだ月の煌々たる空を見上げて祈る。今日こそは、主の御足に付き従う歩みができますように。破れだらけのこの人生。重たいごみ袋を持ち上げながら、このわずかな平和がどれほど続くか、と遠い空に思いをはせ、戦場と地続きであるような大地を踏みしめて、息を吐く。
それでも毎日、東の方から日が昇り、小鳥たちが平和を願うようにチュンチュンと、空にかわいらしい声を響かせるのだ。
「御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ・・・」
(絵・文 星野ひかり)
◇
星野ひかり(ほしの・ひかり)
千葉県在住。2013年、友人の導きで信仰を持つ。2018年4月1日イースターにバプテスマを受け、バプテスト教会に通っている。
■ 星野ひかりフェイスブックページ
■「花嫁(9)白百合の願い」で取り上げた星野ひかりの石鹸はこちら