宮村武夫
1939年東京深川生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。クリスチャントゥデイ編集長兼論説主幹。(2019年8月16日死去、プロフィールは執筆当時のものです。現在はクリスチャントゥデイ名誉編集長)
1939年東京深川生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。クリスチャントゥデイ編集長兼論説主幹。(2019年8月16日死去、プロフィールは執筆当時のものです。現在はクリスチャントゥデイ名誉編集長)
今回は使徒の働き9章に進み、1節から9節を、主イエスが「主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃え」(1節)るサウロに呼びかける事実とサウロの応答、さらに主イエスの指示を中心に味わいます。
今回もピリポとエチオビア人の宦官との間に交わされた対話に注意し、今回は宦官のバプテスマとその後について見て行きます。ピリポは馬車に乗り宦官といっしょに座り(31節)、共に道を進みながら福音を宣べ伝えたのです。
今回もピリポの宣教活動を見て行きます。24節までではサマリヤ宣教についてでしたが、今回の箇所は場面が移り、「エルサレムからガザに下る道」(26節)でのピリポとエチオピヤ人の宦官の出会い、そうです、エチオピヤ・アフリカ宣教への一歩です。
8章4節、「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」では、ステパノの殉教が引き金となって生じた迫害のため、エルサレム教会から散らされた人々がみことばを宣べ伝えながら各地を巡り歩いている様子をルカは描いていました。
今回は使徒の働きの新しい章・8章に進み、1節から8節を味わいます。ステパノの殉教を引き金に生じた激しい迫害とその中で進展して行く福音宣教、このいずれの面も注意する必要があります。
今回は、54節から60節を通し、ステパノの生涯と最後に注意したいのです。ステパノの宣教はいかに生きたか、彼の生き方と切り離すことができません。そしてステパノの生涯を知るためには、ステパノの目がどこに向いていたかを見ることが助けになります。
今回はステパノの宣教の最後の部分・39~53節を味わいます。最初に注意したいのは、7章39節が38節と鋭い対比で語られている点です。38節では、モーセが荒野の集会で生けるみことばを授かり民に与えた事実を描いています。
今回は「ステバノの宣教」の第二回として、20~38節を通してステパノがモーセについて説き明かしている事柄を味わいます。ステパノがモーセについて描くにあたり、イスラエルの民がモーセを理解せず、反逆する事実を強調している点が目立ちます。
今回からステバノの宣教の内容を直接味わいます。今回はまず1~19節を通してアブラハムとヨセフの記事を中心に。ステパノは、「栄光の神」がアブラハムに語りかけたイスラエルの民の出発点に立ち返り、イスラエルの歩み全体を見渡して行きます。
今回は、「さて、ステパノは恵みと力とに満ち」(6章8節)と紹介されているステパノの姿に注意します。使徒の働き前半ではペテロ、後半ではパウロと、二人の中心人物を通して福音宣教が押し進められて行く様をルカは力強く描いています。
前回は、使徒の働き5章29節から32節を特に注意し、ペテロたちの大胆な宣教を見てきました。33節以下では、使徒たちの宣教に対する議会の反応とそれに対して使徒たちがどのような歩みをなしたかを描いています。
今回は、使徒5章12~32節を通し、使徒たちによる宣教の中心に意を注ぎます。29~32節に見るペテロなど使徒たちの宣言、特に32節、「私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です」を注目。
使徒の働き4章32節から5章11節までを見て行きます。まず5章1節の「ところが」に注意したいのです。この小さな「ところが」という表現から、4章32~37節の箇所を意識し、それと比べて5章1節からの記事をルカは描いている事実を教えられます。
今回は、使徒の働き4章23~31節を通して、ペテロとヨハネの最高法院での経験が彼らの「仲間」(23節)、つまりエルサレム教会全体にどのように受け止められるようになったかに注意したいのです。
私たちは、すでに二回ペテロの宣教を聞いてきました(2章14~36節、3章12~26節)。今回は三回目の宣教で、4章8~12節に短く、しかも力強く描かれています。その背景については、5節と6節に示されています。
20節と21節では、人々が悔い改め、神に立ち返る目的を、ペテロは主イエスの再臨を中心とする将来の希望と堅く結び付けています。その中で20節の「回復の時」、21節の「万物の改まる時」は特に注意を引く表現です。
2章最後の部分では、エルサレム教会の様子を特徴をあげ一般的に描いていました。それに対して、3章1~8節では一つの出来事を記し、12節から26節では、その出来事と切り離せない、ペテロの教えを伝えています。
2章最後の部分を通してエルサレム教会の姿を見、そこから私たちの歩みについて教えられたいのです。「心を合わせ、祈りに専念していた」百二十名の人々を中核に、使徒ペテロの宣教に応答し、悔い改め、バプテスマを受けた人々により構成されていました。
今回は、使徒の働き2章14節以下を通して、初代教会最初の宣教に注意したいのです。ペテロはどのような内容を、どのように宣べ伝えているのでしょうか。三つの点に気付きます。旧約聖書の引用とその解釈を中心にペテロは宣教を進めています。