このイエスの御名で
使徒の働き3章1~19節
[1]序
今回は、使徒の働き3章1節以下を読み進めて行きます。2章最後の部分では、エルサレム教会の様子を特徴をあげ一般的に描いていました。それに対して、3章1~8節では一つの出来事を記し、12節から26節では、その出来事と切り離せない、ペテロの教えを伝えています。
[2]神を賛美する者(1~8節)
1節には、ペテロとヨハネの姿。2節には、この場面の中心人物、そして3節以下では、両者の出会いについてルカは描いています。
(1)この日までの生涯の歩み(2節)
① 生まれつき足がきかない
② 毎日施しを求め
当時の社会における施しの大切さ。祈り、断食と共に(マタイ6章2節以下)。
③ 四十歳余り
「この奇跡によっていやされた男は四十歳余りであった」(4章22節)。
(2)この日
出会い。「ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った」(4節)、「ふたりに目を注いだ」(5節)。ナザレのイエス・キリストの名によって(6節、16節)。右手を取って(7節)。支えられ、立たされ、そして強められる。
(3)神を賛美する者に(8、9節)
[3]このイエスの御名が
(1)人々の誤解に対して
12節、「ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。『イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか』」。参照14章4~18節。
(2)「あなたがたは」、「しかし神は」
① 13節に見る対比
あなたがたは「この方を拒みました」←→しかし神は、主イエスに栄光をお与えになった。
② 14、15節に見る対比
あなたがたは主イエスを十字架に。←→しかし神は、「このイエスを死者の中からよみがえらせました」(15節)
③ 17、18節に見る対比
「無知のためにあのような行いをしたのです」(17節)←→「しかし、神は」(18節)
[4]結び
注目すべき16節、「そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです」。
第一にペテロやヨハネの力とか信仰深さではなく、「このイエスの御名」、つまり主イエスご自身が中心であることを明らかにしています。
後半では、「イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです」と、人々の信仰を通して、主イエスが御業を進められる事実をペテロは示しています。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。