主の名を呼ぶ者
使徒の働き2章14~42節
[1]序
今回は、使徒の働き2章14節以下を通して、初代教会最初の宣教に注意したいのです。ペテロはどのような内容を、どのように宣べ伝えているのでしょうか。三つの点に気付きます。
(1)旧約聖書の引用とその解釈を中心にペテロは宣教を進めています。
① 17節から21節ではヨエル2章28~32節を引用、ペンテコステの出来事の意味を明らかにしています。
② 25節から28節では詩篇16篇8~11節を引用、主イエスの復活の預言として解釈しています。
③ 34と35節では詩篇110篇1節を引用し、主イエスの昇天、神の右への着座、聖霊の注ぎを指し示すものとして解釈しています。
(2)宣教全体が主イエスご自身に目を注ぐ。
「今や主ともキリストともされたこのイエス」(36節)に人々の目を向けさすのです。
(3)ペテロは聴衆をしっかり見据えています、14節、22節、29節と36節。
[2]「主の名を呼ぶ者」(1~36節)
(1)ペテロはペンテコステの出来事に対する見当違いな判断(13節)の誤りを指摘する(15節)ばかりでなく、「これは、預言者ヨエルによって語られた事です」(16節)と積極的に示します。
ヨエルからの引用による3つの点。
①「終わりの日」(17節)
主イエスが弟子たちに確認なさった父の約束(1章4、5節)は、旧約時代から約束されたものであり、主イエスご自身の生涯、十字架、復活、昇天全体を通し特別な「終わりの時」に成就されたことをペテロは示します。
さらに39節に見る広がり、「なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです」。
②「わたしの霊をすべての人に注ぐ」(17節)
「すべての人」→性別、年令、社会的身分や階級の壁を越えて。
「注ぐ」→ヨエル2章23節。聖霊を雨のように豊かに、全人格に染み込み、満ち溢れるほどに注ぐ。
③ 中心は21節、「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる」。
(2)「主の名」
21節から22節へ。「主の名」は主イエスの名。36節、「ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」を特に注意。
主の名は主イエスのご生涯と十字架と復活全体を通して明らかにされていることをペテロは指し示しています。
(3)「呼ぶ者」
ロマ10章9節、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです」。
[3]人々の反応とペテロの指示
(1)人々の反応
「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」(37節)。
(2)宣教の頂点
「・・・なさい」「そうすれば・・・」「なぜなら・・・」(38、39、40節)。
(3)人々の決断
41と42節、「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた」。
[4]結び
39節、「なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです」の約束の成就。
2000年の教会の歴史を貫いて福音の宣教により、「主の名を呼ぶ者」が起こされ続けています。今、ここにおいても。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。