宮村武夫
1939年東京深川生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。クリスチャントゥデイ編集長兼論説主幹。(2019年8月16日死去、プロフィールは執筆当時のものです。現在はクリスチャントゥデイ名誉編集長)
1939年東京深川生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。クリスチャントゥデイ編集長兼論説主幹。(2019年8月16日死去、プロフィールは執筆当時のものです。現在はクリスチャントゥデイ名誉編集長)
今回は使徒19章21節と22節に集中し、パウロがエペソ宣教を継続しながら自分の使命を自覚し、計画を立て実行して行く姿に注目します。直前と直後のいずれにおいても、エペソでの力強い福音宣教の様子をルカは描いています。
今回も、エペソ宣教とエペソ教会にかかわる記事を読み進めて行きます。19章8節から10節では、エペソ宣教・エペソ教会全体について描いています。ところが今回の箇所は、一つの出来事を中心に記録しており、二つに分けることができます。
今回は、新しい章・19章に進み、1節から10節を味わいます。19章においては、エペソ宣教・エペソ教会について詳しく伝え、ルカはその重要性を明らかにしています。その中で19章21、22節には、パウロがローマを目指す事実が示されています。
今回は18章24節から28節の比較的短い箇所を、18章18節から19章1節に描かれているパウロの動きと比べながら味わいます。18節以下のパウロの動きは、広範囲に及びます。
今回は18章18節から23節・コリントからエペソへとパウロの一行の宣教活動が進められて行く記事を味わいます。18節には、「パウロは、なお長らく滞在してから」とあり、裁判の後も、パウロがコリントに続けて滞在していたと明らかにしています。
今回はパウロのコリント宣教の記事を味わいます。コリント教会については、パウロのコリント人への手紙第一、第二を通して、その様子をかなり詳しく知ることができます。ルカは、コリント宣教を二つの点を中心に伝えています。
今回は、使徒の働き17章16節から34節、普通「アレオパゴスの宣教」と呼ばれる箇所を味わいます。16節では、「さて、アテネでふたりを待っていたパウロは」と、アテネの町におけるパウロにスポットを当てています。
17章10節、「兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った」に見るように、テサロニケ教会の人々は、パウロとシラスの身の安全を考え、彼らをベレヤに送り出しました。
16章11節以下で見てきたように、パウロの一行はマケドニヤ人の招きの幻に答えてマケドニヤに渡り、ピリピに進みました。しかしそこで彼らは歓迎されたのではなく、苦しみに会い、辱めを受ける中で、ピリピ教会は誕生、成長していったのです。
今回は、「真夜中ごろ」とのことばで始まる25節以下の記事を味わいましょう。パウロとシラスが獄屋の極限状況に投げ込まれながら、その暗黒の中で彼らの身に起こった出来事、また彼らを通し看守と彼の家族の上に及んだ救いの御業を描いています。
今回も、ピリピ教会の誕生にかかわる記事を読み進めます。ピリピ教会には、さまざまな人々が招かれました。また初めから困難に直面しながら恵みの業が進められたのです。この場合のように、祈りの場だけでなく、祈り場へ行く途中においてさえ。
今回は、ピリピ教会の誕生と成長にかかわる記事を味わいます。パウロに与えられた幻を、「私たち」への幻として受け止め(16章10節)、パウロの一行は新しい世界へ踏み出しました。幻が実現していくまでの困難の連続とその中での導きをルカは描きます。
16章6節以下では、パウロたちがアジヤからヨーロッパへと新しい地域へ福音を伝えていく様を記録し、宣教活動を導かれる宣教の主、主イエスの権威を鮮やかに描きます。6節と7節は、アジヤで宣教活動が制約を受けた場面、9節と10節は新しい段階への出発点。
今回はパウロの一行による第二次宣教旅行の最初に位置している出来事(16章1~5節)に注意します。直前の15章36~41節で見たように、第二次宣教旅行の出発は、大きな痛みをともないました。パウロの一行に、主なる神はテモテを加えてくださいます。
今回は使徒の働き15章の最後の箇所を味わいます。アンテオケ教会で宣教に励んでいたパウロとバルナバが、第一次宣教旅行で開拓伝道に従事した諸教会を再び訪問し力づけるため、第二次宣教旅行(18章22節まで)に出立する決心をする場面です。
エルサレム教会会議の決定は、直ちにアンテオケ教会、またアンテオケを中心とするシリヤやキリキヤ州の異邦人教会に伝達されます。その際22節に明らかなように、二つの方法が取られます。
1節から11節では異邦人への宣教をめぐり、エルサレム教会で教会会議が開かれるようになった経過について見ました。ペテロはコルネリオ(10章)の実例に基づき力強い弁証をなし、人々に強い影響を与えました(7~11節)。
今回は使徒の働き15章へ進み、1~11節を味わいます。パウロやバルナバが宣教旅行から戻り、アンテオケ教会の兄弟姉妹との交わりを持てたことは大きな慰めでした(14章28節)。彼らは母教会で「主のみことばを教え、宣べ伝えた」(15章35節)のです。
今回は使徒の働き14章の最後を味わいます。そのためには13章1節以下の全体の流れを見渡す必要があります。13章1~3節に見たように、バルナバとパウロは、シリヤのアンテオケ教会の祈りに支えられ、聖霊ご自身の導きを受け、宣教旅行に出発しました。
今回は使徒の働き14章19節から23節に集中し、デルベ、ルステラ、イコニオムそしてアンテオケなど諸地方の教会が確立して行くため、パウロやバルナバがどのような方法や手段を選んだかを学びます。