ローマを見なければ
使徒の働き19章21節~22節
[1]序
今回は使徒19章21節と22節に集中し、パウロがエペソ宣教を継続しながら、「ローマも見なければならない」と自分の使命を自覚し、計画を立て実行して行く姿に注目します。
21節と22節の前後関係。直前の13節から20節、直後の23節以下のいずれにおいても、エペソでの力強い福音宣教の様子をルカは描いています。
その中間の21節と22節は、エペソでの宣教活動の現実に根差しながら、ローマへの道を展望しているパウロの姿。そしてこの21節は、19章21節以下28章31節までの使徒の働き最後の部分の開始。
19章21節以下の最後の部分は、「ローマを見なければならない」と覚悟して進むパウロが使命をどのように果たして行くかを描いています。
[2]パウロの計画、その原則
21節、「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」は、パウロが目標・計画を持ち宣教活動を続けた一事を明示。全能な神を信じるパウロは、「成るようにしか成らない」とか、「私などがあれこれ計画を立てることなどおこがましい」などと言わないのです。「マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行く」と明確な計画を立て歩みを続け、「私はそこに行ってから、ローマを見なければならない」と、決意を固めて進みます。
しかし注目すべきは、パウロがどのような原則に従い計画を立てているかです。
自分の勝手な都合や願いからではなく、確かな原則に基づく計画に従うのです。パウロの原則を知るため、21節に大切な手掛かりがあります。「パウロは御霊の示しにより」との表現です。「御霊」と訳されていることばは、新改訳聖書の脚注別訳に、「(彼の)霊」とあるように、二つの意味に訳される可能性があります。
つまりパウロが聖霊ご自身の示しに従い計画を立てると理解できますし、またパウロは自分の霊に従い計画を立てるとも取れます。
しかしキリスト者パウロには、聖霊ご自身の導きが与えられているのですから、直接聖霊の導きにより計画を立てると言っても、御霊の導きに従うパウロが心の中に計画を立てると言っても、結局その指し示すところは同じです。パウロは、聖霊ご自身の導きにより心の中に悟る神の御心に従い計画を立てるのです。
もう一つの手掛かりは、「ローマを見なければならない」との表現です。
パウロは、主イエスの意図・目的に従う責任を与えられ、「・・・ならない」との使命に服しています。そうです。パウロは、主人の意図に従い計画を立てるしもべの立場を自覚しています。主イエスに出会ったあのダマスコ途上の時点から、パウロは、命令と約束の原則を教えられました(9章6節、「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです」)。
パウロは、宣教旅行の間何度も(16章6節、18章21節など)この原則を学びました。この原則に従い計画を立て活動し、他の人々にも神のご意志に従い生きるようにと勧めています(14章22節、「弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』と言った」)。
パウロが終始従おうとしている神の御旨は不変です。
パウロは、神のご計画を一度にすべて悟ることはできないし、その細部のすべては知り得ないのです。しかし教えられた限り、また教えられていない細部に渡っても、なお導いてくださる主なる神を信頼しつつ進むのです。
ですからパウロの計画は、大局的には、不変の神の計画に従い一貫性を持ち、同時に細部においては、パウロの思いを越えて変更がなされる場合があります(20章3節、Ⅱコリント1章15~17、23節、2章12、13節)。
[3]パウロの計画、その内容
パウロの計画は、第一に、「ローマも見なければならない」と、大きく将来に開かれたものです。これは、主イエスの世界宣教の命令に基づきます(ローマ1章10~15節、15章23~29節、使徒1章8節)。また今までマケドニヤとアカヤでなし続けてきた過去の働きを感謝し回顧して、実を結ぶため適切な計画を立て実行します。
さらに「パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた」と、現在に直接かかわる計画を立て実行しています。参照Ⅰコリント16章8節と9節、「しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです」。
[4]結び
今回の箇所は、計画を立て歩む歩みに基本的な導きを与えてくれます。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。