ステパノの目
使徒の働き7章54節~60節
[1]序
三回にわたり、ステパノの宣教に注意してきました。
今回は、54節から60節を通し、ステパノの生涯と最後に注意したいのです。ステパノの宣教はいかに生きたか、彼の生き方と切り離すことができません。そしてステパノの生涯を知るためには、ステパノの目がどこに向いていたかを見ることが助けになります。
[2]聖霊に満たされたステパノの目
(1)54節、「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした」に見る人々の激しい反対と攻撃を受けながら、「聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見」つめるのです。この「見つめる」ということばは、使徒の働きの著者ルカが好んで用いたことばの一つです。例えば、「イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた」(1章10節)。「ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った」(3章4節)。
(2)ステパノは日々の生活の中で主イエスに心を向け続け、今最も大切なときに、「天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見る」のです。56節、「こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』」には、自分が経験したことを語るステパノの姿を見ます。
[3]ステパノの祈り
59節と60節。「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた」。
見つめ語るステパノは、主イエスに祈ります。人々に語るステパノは、人々のために祈ります。そのステパノの祈りは、二つの面を含みます。
(1)第一は、「主イエスよ。私の霊をお受けください」。ステパノの日々は、この祈りのための備えでした。
(2)第二の祈りは、執り成しの祈りです。ステパノは、他の人々のために祈る歩みを最後までなしました。
[4]結び
私たちの目がどこに向くか。それにより私たちの生活・生涯が決定されることを教えられます。自分の霊を委ねるお方を見つめ祈り続けるステパノは、私たちが何を見て、どのように生かされるべきか指し示してくれます。ステパノは死に直面し、すべてが終わりのように見えますが、ステパノの死を乗り越えて、やがてサウロが起こされて行きます。
ステパノの目。では私たちの目は。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。