ステパノの宣教(Ⅰ)
使徒の働き7章1節~19節
[1]序
今回からステバノの宣教の内容を直接味わいます。今回はまず1~19節を通してアブラハムとヨセフの記事を中心に。
[2]アブラハム(7章1~8節)
ステパノは、「栄光の神」がアブラハムに語りかけたイスラエルの民の出発点に立ち返り、イスラエルの歩み全体を見渡して行きます。
(1)アブラハムの召命
アブラハムへの招きは、「あなたの土地とあなたの親族を離れ」と、~からの旅立ちと共に、「わたしがあなたに示す地に行け」(3節)とはっきりした目標・責任も示されています。これはアブラハム個人ばかりでなく、イスラエルの民全体についても同じです。エジプトの奴隷状態から解き放たれただけでなく、約束の地へと向かい進むのです。
さらに主イエスにより開かれた救いの道について、パウロが指し示しているところでもあります。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい」(ガラテヤ5章1節)、「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい」(ガラテヤ5章13節)。
アブラハムの歩み(~からと~へを含む)は、「神は彼をそこから今あなたがたの住んでいるこの地にお移しになりました」(4節)とあるように、神ご自身に支えられ導かれ現実になりました。
(2)神の約束に生きるアブラハム
約束の地に移されたアブラハムについて、「ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした」(5節)と約束の地に住みながらそこを所有することを許されていなかったと印象深く描いています。約束の子どもがすぐに与えられずまた子孫たちは「外国に移り住み、四百年間、奴隷にされ、虐待され」(6節)た後、出エジプトの解放の恵みを経験します(7節)。
神はアブラハムに「割礼の契約をお与えになり」(8節)、アブラハムのように、子孫たちが神の約束の確かさに従い生きる道を指し示しておられます。
[3]ヨセフ(7章9~18節)
ヨセフは不当な仕打ちを受け、その困難を通し兄弟たちの救いの道が開かれて行く。このヨセフの生涯は、主イエスを指し示しています。
(1)兄弟たちの仕打ち
「族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました」(9節)とステパノは兄弟たちの仕打ちの動機として、「ねたみ」をあげています。
ヨセフがエジプトでなめた「あらゆる患難」については創世記が詳しく伝えています。さらに詩篇の記者も、「彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中に入った」と表現しています(105篇18節)。
主イエスの場合についてのペテロのことば参照。Ⅰペテロ2章22、23節、「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました」。
(2)「しかし神は」
「しかし、神は彼とともにおられ」(9節)とあります。主なる神は、場所に制約されず、どこでもご自身の民とともにおられるのです。
ヨセフは、「あらゆる患難から彼を救い出し」とあるようように個人的に救い出され、さらにイスラエルの民を救うため用いられます。
[4]結び
(1)神の約束に信頼し、みことばに従うアブラハムの道。
(2)イスラエルは先祖を誇ることはできない。人は自らを誇ることができないのです。「しかし神は」と示されている、一方的な恵みの道。
(3)患難。ヨセフの患難を通して、イスラエルの民の救いが備えられました。しかもヨセフもあらゆる患難から救い出される。患難がそれなりの意味を持つと信じて、主なる神に委ね、同時にあらゆる患難から救い出してくださいと祈る道を教えられます。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。