ステパノ
使徒の働き6章8節~15節
[1]序
今回は、「さて、ステパノは恵みと力とに満ち」(6章8節)と紹介されているステパノの姿に注意します。
使徒の働き前半ではペテロ、後半ではパウロと、二人の中心人物を通して福音宣教が押し進められて行く様をルカは力強く描いています。
しかし同時に、ペテロやパウロ以外にも数多くの人々が福音宣教に従事している事実も指し示しています。そうした人々の中で、ステパノは印象深い人物で最初の殉教者であり、パウロの回心に影響を及ぼしたと推察できます(使徒8章1節、22章20節)。
[2]ステパノの特徴
「信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ」(6章5節)、「ステパノは恵みと力とに満ち」(6章8節)と紹介。「満たす」とは、信仰、聖霊、恵み、力などが主なる神の一方的な恵みの賜物として与えられており、誰も誇り得ない事実を示す表現。しかもこの賜物は必要のため十分なのです。
ステパノの特徴として、聖霊に満たされていた事実が目立ちます。聖霊に満たされるとき、二つの面を含みます。
①第一は、すべてのキリスト者に与えられる賜物としての聖霊です。ペテロがエルサレムの人々に宣べ伝えているように(2章38節)、悔い改め、主イエスを信じてバプテスマを受けるキリスト者に、神の賜物として聖霊が約束されています。
「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはでき」(Ⅰコリント12章3節)ないのです。主イエスを信じる、そのことが聖霊ご自身の助けによるのであり、神の賜物としての聖霊が与えられている証拠です。
課題は、この恵みを深く自覚して、全人格、全生活、全生涯を聖霊ご自身の働きに委ね、御霊の実(ガラテヤ5章22、23節)が結ばれていくかどうかです。
②もう一つの面は、特別な立場や任務に応じた特別な聖霊の賜物です。
各キリスト者が持ち場や立場に応じ、特徴ある聖霊の賜物を与えられており、皆が同じではないのです(Ⅰコリント12章29、30節)。聖霊に満たされることにより、ステパノはいかにもステパノらしく生かされるのです。
以上二つのいずれの面でも、聖霊に満たされているステパノの姿をルカは印象深く描いています(6章15節)。
[3]ステパノの働き
信仰と聖霊、また恵みと力に満たされたステパノは、「人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた」(8節)とステパノによる力強い福音宣教の様をルカは描いています。
また受け身の形で対決した二つの事柄も記されています。9、10節に見る議論と11~15節に見るステパノに対する偽証と7章全体に詳しく伝えている彼の弁証です。
(1)議論
「リベルテンの会堂」(9節)に属する人々を中心に議論し、神殿を救いの根拠(7章48節参照)にしたり、律法を守ることにより救いを獲得しようとする主張をステパノは徹底的に否定(7章53節参照)。
(2)偽証
議論に敗れ沈黙した人々は、ステパノがモーセと神をけがしたとの偽証(マルコ14章57~59節参照)を手掛かりに、「民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し」(12節)、ステパノを捕え、最高法院の場で裁くのです。
福音を忠実に宣べ伝えて前進して行くとき受ける攻撃に対し、ステパノは誠実にまた徹底的に答えて行くのです。
[4]結び
聖霊に満たされたステパノの姿は、パウロが指し示す生き方です(ガラテヤ2章20節、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです」)。救いの根拠はただ主イエス・キリストの贖いのみです。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。