悔い改めと罪の赦し
使徒の働き5章12節~32節
[1]序
今回は、使徒5章12~32節を通し、使徒たちによる宣教の中心に意を注ぎます。
[2]証人 ―私たちは、聖霊も―
29~32節に見るペテロなど使徒たちの宣言、特に32節、「私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です」を注目。
あの1章8節の約束を思い起こさせられます。まずエルサレムで主イエスの証人として生かされるとの約束が、今現実となっているのです。
(1)「私たちはそのことの証人です」(32節)
①「証人」とは、自分が経験した事実を裁判で証言するよう求められている人(参照6章13節)。ペテロたちは、自分たちが見聞した経験のみを証言すべきであると熟知していたのです。
②証言の内容。「そのことの証人」。「そのこと」とは、30節と31節で明らかにされている、主イエスの十字架の死と復活の事実。この神の恵みのみ業に基づく「悔い改めと罪の救し」を宣べ伝えているのです。
③何より大切な責任。27、28節に見る、議会の禁令(4章18節)を破ったとの告発に直面する中で、ペテロたちは証人として委ねられた証をなし、神に従うのです。殺害される危険(33節)を予想していても、何よりも大切な証人としての役割を果たすのです。
これほどまで大切な使徒たちの証言が書き記されているのが、新約聖書です。聖書を離れて、使徒たちの証言を聞くことはできません。
(2)「聖霊もそのことの証人です」(32節)
聖霊ご自身が助けてくださらなければ、自分たちの証言はまったく不十分であるとペテロたちはよく知っていました。
しかも、主イエスが約束なさっている弟子たちの役割を受けとめ果たしています。彼らの姿は、聖書に根ざし聖霊ご自身の導きに信頼して、実際生活の場で主イエスの証人として生きるべき私たちの道を指し示しています。
★ヨハネ15章26、27節、「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです」。
[3]「悔い改めと罪の救し」
使徒たちの証言の中心は、30節と31節に要約されています。
(1)「悔い改め」
①その重要性。主イエスご自身の宣教(マルコ1章15節)も、主イエスが派遣なさった弟子たちの宣教も、悔い改めをめぐるものです(ルカ24章46~48節)。使徒の働きにおいても、ペテロも(2章38節)、パウロも(26章20節)も等しく悔い改めのメッセージを伝えています。
②「悔い改め」とは、黙示録2章5節、「あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい」に見るように、本来のあり方と現実の姿を比べ、本来の姿に立ち返ること。
ルカ15章に見る放蕩息子が、「我に返って」(17節)父のもとに帰る姿の中に、悔い改めとは何かを見ます。
③どのようにして、誰が、神の呼び掛けに答えて(ルカ16章)。誰でも悔い改めが必要であり、また誰でも悔い改めることができることを聖書は教えてくれています(ルカ5章32節)。
(2)「罪の救し」
一切の人間的な方法によっては不可能な「罪の赦し」(使徒13章38、39節)が、主イエスを信じる信仰を通して与えられる。これがペテロが宣べ伝える福音です。神の独り子主イエスご自身が血を注ぐ、もっとも貴い犠牲により現実となった「罪の赦し」です。気の持ちようや安売りの救いではないのです。
[4]結び
主イエスの十字架と復活により、罪赦される神の恵みを受け、罪赦された罪人として進む道。福音宣教を通してこの道を進む人々が、今、ここでも起こされ続けるように祈ります。
◇
宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。